沖縄で突然茶旅2018(5)軽便鉄道から茶房へ

金川をなぜ『かにがわ』と読むのだろうなどと考えながら、車に乗り込んだ。急に陽の光が差し込んできた。Hさんが『このまま帰るのもなんだから、今帰仁でも行きますか』と誘ってくれた。今帰仁(なきじん)もどうしてこんなふうに読む(または書く)のだろうか。沖縄の底は深い。

 

今帰仁城(なきじんぐすく)は世界遺産にも登録されている。前回Hさんに連れて行ってもらった座喜味城と同様だが、こちらの方が更に整備されている印象がある。天気が良くなったので、砂漠に建っているような城に向かい、勇んで門を潜り、石段を上って行く。思ったより規模が大きい。ここは琉球王国成立前からある城で、北山王が治めていたという。規模は首里城と同じぐらいらしい。

 

上に登ると、海まではっきり見えている。ここも交易の1つの中心だったのだろう。ただ建物はほとんど残っていない。本丸以外にも西の丸と言った感じのスペースが残っていた。女官部屋があったとも伝えられ、御嶽もあったという。城の中に御嶽というのが、いかにも琉球だ。そんなことを思いながら、城壁を眺めていると、一転俄かに掻き曇り、雨が降り出した。最初は笑っていたのだが、その降り方は尋常ではなく、石段を転ばないように退散するも既にびしょぬれ。

 

まさかあんなにいい天気だったので、傘を車に置きてきたのが失敗だった。小降りになるまで売店の前で雨宿り。そこは如何にも雨宿り、という場所だった。15分ぐらいすると、また明るくなり出し、何と虹がかかり始める。これは何のお告げだろうか。このまま帰るのもどうかと思い、歴史文化センターという建物に入って、歴史を学び直した。

 

夕暮れ時、海岸線を車は走っていく。以前屋我地島に泊まりに行った時に、通った道だ。暗くなった頃、食堂に入る。ここでは海鮮が食べられるというので、海鮮丼をお願いしてみた。お客の半分以上は中国人など外国人、いかにも沖縄で海鮮を食べようという人々だ。彼らを当て込んでいるのか、料金は高め。

 

更に帰ろうとすると、何と道路の反対側の駐車スペースは既に門が閉められてしまっていた。一瞬これでは帰れないかと観念しかけたが、暗い道をよく調べたら、車が何とか通れる道が存在しており助かった。何だか今日は天気同様、晴れたり曇ったりだったが、やはり腰の具合はよくない。

 

1月13日(土)
軽便鉄道から茶房へ

翌日も天気は良かった。天気が良いと腰の調子も上向く。今日はやはりTさんの紹介で、南城市に住む、お茶を研究していた方を訪ねることになっていた。土曜日なのに申し訳ないな、と思っていると、思いがけず、『軽便与那原駅舎』に来て、と言われる。軽便鉄道と言えば台湾ではおなじみだが、沖縄にもあるのだろうか。

 

今日もHさんの迎えで車に乗る。まずは腹ごしらえということで、沖縄では根強い人気のあるファーストフード、A&Wに向かう。ハンバーガーのセットにルートビアをチョイス。ルートビアは美味しい。お替り無料と聞いたが、さすがにこの気候で2杯は飲めなかった。因みに今日は土曜日。基地で働くアメリカンの家族や米兵たちが来ていた。

 

それから与那原駅舎へ向かうが、道が意外と狭くてちょっと探す。ようやくたどり着くと、そこはきれいな駅舎。戦前走っていた軽便鉄道は、時代と共に完全に姿を消し、最近復活したらしい。そこではTさんが一人で業務をしていた。彼を訪ねた理由は大学で沖縄茶について、卒論を書いたと聞いたからだった。ただやはり資料はそれほどないとのことで、沖縄の茶の歴史を調べるのは簡単ではないと思い知る。

 

だがこの駅舎に来たことにより、1つのことに気が付いた。それは戦前、沖縄と台湾は日本政府から同様の政策を持ち込まれ、同じような作りになっていたということだ。しかも残念ながら、沖縄よりも台湾の方が早くに成果が出たようで、多くの資本が台湾に注ぎ込まれ、沖縄は遅れて行ったという歴史だ。同時に地理的にも近いこの2つの場所。台湾が栄えれば沖縄人が出稼ぎに行き、沖縄に戦火が迫れば、台湾に疎開した、という歴史もあるようだ。これは意外と思いつかなかったので、今後はもう少し沖縄と台湾についても調べを進めたい。

 

それからTさんよりアドバイスを受けて、南城市にある茶房一葉を訪ねる。与那原から南城がこれほど近いとは思ってもみなかった。そして茶房が、本当にサトウキビ畑の近くにあるので、驚いた。ここは知らなければ絶対に来ることができない場所だった。お店に入ったが人はいない。

 

てっきりTさんが連絡してくれていると思って、店主のUさんに話しかけたところ、先方が驚いている様子にこちらも戸惑う。何と私の連載記事を読んでくれていたのだ。初めて会うのに、10年ぐらいの知り合いのようになる。茶旅では偶にあることだが、一番驚いたのは一緒に来たHさんだったかもしれない。

 

それから沖縄の茶について色々と話を聞いた。清明茶なども出してくれた。Uさんは独自に何度も台湾に行っており、様々な茶産地を巡っていた。更に驚いたことには、昨年タイでご一緒したT先生が明後日ここに来てセミナーをやるというのだ。どうやら名護の試験場で年1回の紅茶品茶会があるらしい。その会には佐賀のOさんも来るという。何も知らずに来てしまったが、どんどん繋がってくる。

 

お客さんが何組か来たのだが、結局最後までお店にいてしまった。それほど居心地がよかったということだ。突然の訪問にも拘らず、Uさんには歓待してもらい、嬉しかった。一人でここに来ることは難しそうだが、次回も何とかやって来ようと思う。

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