ある日の埔里日記2017その6(4)日本人会忘年会&イベント準備

12月7日(木)
日本人会忘年会

今朝はゆっくり起きて疲れを取る。ブランチに、近所でチキンバーガーを食べる。いつもならそれで終わりだが、何だか腹が収まらず、ベーコン蛋餅まで焼いてもらう。最近ちょっと食欲があり過ぎではないだろうか。まあ気候も良いので、食欲が出るのも当然かもしれない。

 

夕方、Iさんと下で待ち合わせて、レストランに向かう。今日は埔里日本人会の忘年会だ。私もその端くれに混ぜてもらい、参加した。因みに日本人会は最近発足したが、それは週末の演習林記念イベントのためであり、以前より日本人の集まりはあったらしい。一時は日本人ロングステイヤーを受け入れると言っていた埔里だが、現在ではごく一部の人が住んでいるだけとなっている。

 

会場はYさんの知り合いのレストラン。個室に10人程度が集まった。懐かしかったのはOさん夫妻。6年前埔里に来た時、カレー屋さんをやっており、2度ほどお邪魔したことがある。あちらも何となく覚えていていただき、懐かしの再開となった。今はカレー屋さんを止め、埔里郊外で悠々自適と伺う。また戦後ずっと台湾に残り台湾籍となっている下山操子さん、誠さん、ご姉弟も参加され、非常に有意義な会になった。

 

参加者の内、私とYさんを除く全員が、配偶者が台湾人である。奥さん方も参加され、日本語の他、国語も飛び交う。Iさんのお嬢さんは学校での発表練習を皆の前で披露して、元教師の下山さんが、指導をする場面もあった。料理はどんどん運ばれてきて、お酒も回り、愉快な会で3時間も続いた。今後も年に一回は忘年会を開催し、日頃は会わない方々とも、旧交を温めることとなる。

 

12月8日(金)
イベント準備

今日は金曜日。明後日迫ったイベントの定例打合せがあるのかと思っていたが、さすがに皆真剣に準備に入っており、直接会場となる演習林に集まり、実地の最終確認となる。9月頃には一体どうなるかと心配していたこのイベント、私が不在の間に相当の紆余曲折があったらしいが、結果的にここまでこぎつけたのは、素晴らしい。

 

演習林に早めに行くと、入り口のところで、野菜や雑貨を売っているおばさんたちがいた。どっから来たんだ、と聞かれたので、日本と答えると、何でここに、という顔をしていた。地元の人もこの演習林については、日本との関係も含めてほぼ何も知らない。そしてここにはその歴史を示す看板すらないのだ。

 

実行委員、総責任者、イベント会社、当日のMCなどが集まり、具体的な配置と段取り、問題点を確認している。我々日本人は行っては見たものの、殆どやることはなく、ただ演習林を眺めているだけ。最後に日本人会担当の『コーヒー豆の種飛ばし大会』の場所の確認だけを行い、お開きになる。

 

この北大演習林100周年プロジェクトは、諸般の事情により、水沙連珈琲フェスティバルとして、開催されることになった。北大からも結局2名が参加することになり、形は整えたものの、やはり日本統治時代の歴史に対する複雑な思いと、光復後の管理問題が浮き彫りになり、どうも素直に進められる、という雰囲気ではないのが残念だ。

 

打ち合わせ後、日本人でランチを食べに行く。いつもの古月軒の別館だ。ここは車の駐車が楽なので、便利がよいという。麺も小菜も相変わらずおいしいが、お客は満員というわけではないので、経営はどうなのだろうか。いい店には続いて欲しいと思う、一顧客であった。

 

今日は午後魚池の王さんを訪ねることになっていた。ちょうどのこの店の近くに魚池に行くバス停があったはずなので、皆と別れてそちらに向かう。埔里酒廠の前にバス停があり、そこで待っていると、台中行のバスは向こうに見えた。そのバスが信号で止まった時、その向こうに止まったバスは陰で見えなかった。

 

信号が青に変わると2台が一斉に動き出す。あっと思った時はもう遅かった。その向こう側のバスこそ、日月潭行、私が乗るバスだったのだ。田舎のバスの運転手の一部には、乗客に目もくれず、いや故意に乗せないようにして、自分勝手に行ってしまうバスがあるのは事実だ。今回は完全にやられてしまった。はてどうするか。次は1時間後かもしれない。

 

取り敢えず時間つぶしにバスターミナルまで歩いてみる。ターミナルで聞くと5分後に魚池に行くバスはあるという。おかしいなと思いながら乗り込むと、それは裏道を行くバスで山の中を走るので時間がかかった。それでも次の台湾好行に乗るよりは早く魚池に着く。王さんには1時間遅れると連絡したので、店に顔を出すとちょっと驚いた顔をしていた。

 

王さんのところに行くのは半年ぶりだろうか。王さん自身は紅茶を中心に茶を作っているのだが、今はシーズンオフなので、これまでに台湾のみならず各地から収集してきた様々なお茶を出してきて飲む。凍頂の古い茶やプーアル茶、包種茶の老茶まである。一種の骨董趣味とも言えるだろうか。

 

4時過ぎにバスの時間を考えて、帰ろうとすると、『ぜひ隣で飯を食っていけ』という。いや未だ夕飯には早いと断ったが、是非にというので隣に行ってみると、いつの間にか香港式レストランがオープンしていた。何となくいい匂いだったので、思わず中に入ると、王さんが注文した上にお金も払ってくれた。何とも申し訳ない話だ。

 

叉焼と鶏肉の入ったご飯を食べてみたが、これは旨かった。香港や広東で食べる味と遜色がない。聞いてみると、何とここのシェフは香港からやってきたというのだ。道理で本場の味だと感心していたが、そのシェフはなぜこんな田舎街に来たのだろうか。どうやら香港の将来に見切りつけて、台湾に移住したのでは、との話だった。

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