ダラダラ佐賀まで茶旅2015(13)佐賀 脊振山と井出ちゃんぽん

6.佐賀

脊振山

佐賀駅から歩いて5分、アパホテルにチェックインした。特にアパホテルが好きなわけではないが、駅から近くて安い、というと、そうなってしまうらしい。特にここは1泊4000円だから、文句はない。それにしても佐賀駅から北側に歩いていくと、整然としているというか、県庁所在との駅前としては何もないというか。

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約束しているOさんに連絡を入れるとすぐに迎えに来てくれた。昨年は3日間も八女、嬉野、彼杵などを案内してくれた人。今年はお子さんが生まれ、更には新店舗を開業したので、忙しいというのに、付き合ってくれた。有難い。因みに30分前まではラジオ番組に出演していたという。

 

彼の車で1時間弱、脊振山に連れて行ってくれた。古来脊振山は霊山として多くの修行僧が暮らす山岳密教の修験場であり、隣山である千石山の中腹には霊仙寺跡が残っていた。ここは戦国時代に荒廃するまでは、かなり栄えた聖地だったという。またこの付近は『栄西が中国よりお茶の種を持ち帰り日本で初めて栽培、日本の茶の栽培の発祥地』と呼ばれている。お茶と仏教の歴史的関係は面白い。

 

車が道路脇に停まると、階段が付いており、登っていくと、茶を詠んだ俳句が次々と出てくる。森林浴歩道というらしい。これも行政(ここは吉野ヶ里町)が予算消化で作ったのだろうか。ここを訪れるのはお茶関係者、それともハイキングの人達?少し登っていくと茶園が見えてきた。勿論江戸時代に植えられたものだと説明されているが、近年植え替えているのだろう。誰が管理しているのだろうか、こんな山の中。かなり大変な作業。茶の木はかなり伸びており、茶葉も伸び放題のところがある。このあたりの標高は500mだそうだ。

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『日本最初之茶樹栽培地』という碑が建っている。Oさんは『既にここが最初だ、というのは否定されているが、この碑を取り外すことはできないだろう』という。他にも最古の茶園は日本に数か所あるという。本当はどこが最古か、分かるのだろうか?文献上、最古の茶園は京都の内裏内であり、今は勿論茶畑はない、と研究者からは聞いている。なるほど。

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周囲を散策すると、苔の絨毯、と言ってもよいフカフカの道が存在した。水も流れてきており、森閑とした雰囲気の中、凛としたものが感じられる。岩の所に『栄西茶栽培800年記念祭記念樹』と書かれた棒が倒れ掛かっていた。これは1191年のことだろうから、今から25年近く前に茶樹が植えられたことを示していた。この頃、栄西がクローズアップされたことが覗われる。

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実際にこの山中を歩いてみると、ここで本当に栄西が茶栽培を始めたかは別として、ここは栄西のような僧が修行するに相応しい場所だということは良く分かる。取り敢えず見学を終え、また車で佐賀へ戻る。忙しいOさんは私を下ろすと、お店に帰っていった。私は今朝が早かったので、ホテルでお休み。

 

井出ちゃんぽん

すぐに辺りは暗くなった。Oさんとの別れ際に『佐賀のB級グルメは?』と聞いたところ、ちょっと考えてから『チャンポンでしょう』という。チャンポンといえば長崎ではないのか。だがこれしかヒントがなかったので、食べてみようと思う。更にOさんはホテルからかなり離れた場所に有名なチャンポン屋があるが、駅近くはどこにあるか知らないので、ホテルの人に聞いてみては、というではないか。これは先日の広島と同じパターン。いいぞ!

 

フロントにいた若い女性に『この近くのチャンポン屋は?』と聞いてみると彼女は即座に『井出ちゃんぽんです』という。そこは先ほどOさんが言っていたちょっと遠い場所にあることが分かったが、彼女に『せっかく佐賀でチャンポンを食べるんですから、絶対に井出チャンポンに行ってください』とかなり強い口調で言われる。そして丁寧に場所を教えてくれた。彼女の一押し、そこまで言われれば、行くしかあるまい。歩いて約30分、上等だ!

 

言われた通り、歩いていく。道は既に暗く、目印になるようなものは乏しい。果たして合っているのかさえ、よく分からない。20分以上歩いて、ついに目印であるショッピングセンターを見つけた。ところが・・?チャンポンはないのである。ショッピングセンターの道の向かい側だと言っていたが、ラーメン屋しかない。後は家電量販店だけ。あれ、どうしよう。仕方なく、家電量販店に突入し、店員さんにチャンポン屋の場所を聞くという暴挙に出た。店員も一瞬ギョッとしたが、丁寧に教えてくれた。何とショッピングセンターの裏側に国道があるらしい。

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歩いていくと、ようやく井出ちゃんぽんが見つかった。1時間近くかかったことになる。店内はかなり広く、既に時間が遅いのか、お客は多くはなかった。メニューを見ると、チャンポン以外にカツ丼などがある。国道沿いの地元の人のための食堂、といった雰囲気が漂っている。地元の男性は『チャンポン+おにぎり』が定番とか。但しおにぎりは既に売り切れていた。

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結局チャンポン+たまご+きくらげ、をオーダーした。出てきた物を見てビックリ。物凄い量だった。麺の上にかなりの野菜炒めが乗っており、更にその上にたまご+きくらげ、といった感じ。掘っても直ぐには麺までたどり着かない。おにぎり、注文しなくてよかった。汗を掻きながら、何とか全部を腹に収めたが、腹一杯で動きが鈍かった。帰りはゆっくり来た道を歩いた。

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1 thought on “ダラダラ佐賀まで茶旅2015(13)佐賀 脊振山と井出ちゃんぽん

  1. 背振山は私の小学校時代から記憶にあります。昭和12,3年頃ヨーロッパの新聞社が亜欧連絡飛行と言う懸賞金付きのイヴェントを企画して、多数のヨーロッパの冒険飛行家達が挑戦しましたが殆どが中近東、インド辺りで故障挫折してアジアに達する者はありませんでした。只一人フランス人のジャピー飛行士が上海から最終コースの日本に向かいましたが、悪天候でこの背振山に衝突して足を骨折して助かったのが日本に到達した最初の最期で、間も無く朝日新聞社がスポンサーで日本の神風号が逆コースを一発で成功させ東京立川からロンドンまで飛びました。

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