静岡茶旅2022(2)森町と台湾の繋がり

12月21日(水)森町へ

朝はゆっくり目覚め、静鉄で県立図書館へ向かう。先月も行ったばかりだが、やはりここで資料を漁るのが一番早いと感じる。今回は前回とは異なる資料を入手して満足。時間になり、宿へ戻り、荷物を取りだして駅へ。また腹が減ったので、ホームでそばを食べる。時間がない時、ちょっとお腹が空いた時、何とも便利な食べ物だ。

また掛川駅へ行く。先月のホテルがあんまりだったので、今回は馴染んだ宿を予約した。ただ駅から少し離れているので、荷物を持っていくのが大変。それでも掛川付近のよい散歩になり、古い建物などを見ながら楽しむ。山内一豊は掛川城主だった。チェンマイのコーヒーを出す店もあったが、今日は休みのようだった。

掛川駅に戻り、天竜浜名湖鉄道に乗って森町へ向かう。森町に行くのは2017年以来6年ぶりだろうか。前回は掛川からでなく、豊橋に近い新所原駅から乗って、1両列車にずっと揺られたのが懐かしい。ちょうどあの年は大河ドラマ『あんな城主直虎』で、沿線が盛り上がっていたように思う。今回は掛川から約30分のみ、料金480円。

相変わらず1両列車、1時間に一本程度運行されている。乗客も多くはない。遠州森という駅で降りず、次の森町病院前で下車。ここは前回も来た役場があるが、今回はその向こうにある立派な建物、森町文化会館を訪ねた。ここで館長のMさんと、お知り合いのYさんが待っていてくれた。

Mさんとは、藤江勝太郎のご縁で知り合った。今日もその後の藤江研究の成果をご披露頂き(Mさんは各所で藤江について講演している)、その進歩に感激した。台湾製茶試験場を作り、初代場長となった藤江は森町の名家出身。森町と台湾の繋がりは尋常ではなく、台湾製糖初代社長鈴木藤三郎もここの出であり、台湾の三大輸出品の内2つのトップは森町出身だから、これは驚くしかない。台湾製糖との交流は以前より行われていたが、最近は台湾茶業改良場などとの交流も始まっているようで、何とも嬉しい。

その後Mさんの車で歴史民俗資料館に案内してもらう。ここは以前も来ており、初めて藤江の顔写真と対面した場所でよく覚えている。見てみると展示品が増えている。何と藤江が森町に設立した日本烏龍紅茶株式会社で使われた製茶道具や蘭字まで揃えられており、驚く。Mさんたちの努力には敬意を表したい。また鈴木藤三郎と藤江の交わりも何となく見えてきて面白い。

更に車で案内されたのは、前回私を案内してくれたKさんの家。Kさんは当時役場職員であったが、郷土史研究家でもあり、かなり深く歴史を調査している。今回も地元の茶商などについて教えを乞う。Kさんとお別れし、最後に日本烏龍紅茶の茶工場があったと目される川沿いの場所まで連れて行ってもらった。今や何も痕跡はないが、ここまで分かってくるとワクワクしてくる。

文化館に戻り、Mさんとお別れした。Yさんが『もう少し案内しましょう』と言ってくれ、今度はYさんの車で庵山へ向かった。ここには村松吉平の碑がある。吉平は明治初期横浜の茶貿易で活躍した森町出身の茶商。地元に紅茶製造所をいち早く作ったほか、相良油田採掘事業に取り組むなど、興味深い人物である。

そしてもう一つ。浪曲『森の石松』と遠州森の茶の碑がある。これは昭和初期の不況下、森町の茶を売り込むために、『遠州森町良い茶の出処』と人気絶頂の浪曲師広沢虎造に謳わせた名曲を記念している。更にその横には形の良い観音様がある。何と鈴木藤三郎が作らせた4体の内の1体がここにある。そしてもう1体は台湾製糖にある(残り東京の鈴木邸及び鎌倉別邸の2体は所在不明)というからすごい。こんなところにも日本と台湾の交流がさりげなくある。因みに藤三郎も明治初期は茶貿易に従事したことがあるらしい。

誠にありがたいことにYさんが掛川まで車で送ってくるという。既に周囲も暗くなっていたので、どこかで夕食でもと思い、思いついたのが先月久しぶりに訪ねた、さわやか、だった。今回は前回と別の店に行く。ちょうどタイミングが良かったのか、今日はほぼ待たずに席に着いた。

ハンバーグを食べながらお茶談義に花が咲く。Yさんも中国留学組であり、中国、台湾事情なども話題となる。何だかとても楽しくて、ついついデザートも頼む。ミカンとほうじ茶プリンを食べ、コーヒーを飲みながら、話はどんどん弾んでいく。かなり長居してしまい、気が付くと周囲にお客さんがいなくなっていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です