みちのく一人旅2022(6)鹿野、そして盛岡へ

今回の主目的である鹿野先人顕彰館を訪ねた。常設は湖南と和井内貞行(十和田湖養魚事業開発の先駆者)、そして最近民俗学者瀬川清子が加わった。毛馬内出身で子供を持ってから大学に入り、民俗学を志し、柳田国男に師事し、全国を飛び回ったというから、この時代には稀有な存在だっただろう。今年の特別展は先ほども見た立山家。立山林平は東京帝大を首席で卒業した天才数学者だったが、31歳の若さで亡くなっている。なぜこの地からこのような天才が生まれたのだろうか。

顕彰館は和井内貞行誕生の地に建てられていた。湖南生誕の地はすぐ近くにあり、現在は湖南顕彰会が運営している。ここで2003年度に年間展示されたのが、石川伍一。湖南と同じ年にこの地で生まれた男は、民間人諜報活動家、大陸浪人の先覚者で、日清戦争直前、天津で捕縛され、命を落とした。その資料は石川家からこちらに提供され、すべてそのまま保存されていた。伍一はお茶仲間Yさんのご先祖であり、その稀有な人生に大いに興味を持っており、資料なども沢山頂いている。今後中国などへ行き、伍一の足跡を歩きたい。このような人物はもっと知られるべきと考えている。

だが顕彰館によれば、実は伍一だけでなく、湖南ですら地元ではあまり知られていないと嘆く。湖南と伍一、そしてやはり秋田の木村泰治(台北森林北路や東京上北沢を開発)を接点として 台湾時代の湖南を調べたいとの思いが出て来る。そこで十和田図書館で湖南と伍一の資料を探し、コピーを取ろうとしたが、著作権の範囲外だとして、半分しか取らせてもらえず。

ところが図書館を出てから20分して電話があり、やはり全部コピー可能だった?ので、取りに来いというから驚いた。だが電車は2時間に一本しかなく、戻れないため郵送を依頼したところ、何とコピー代を郵送せよ?と言われ、そのお役所仕事ぶりにちょっと呆れ果てる。まあ著作権について調べてくれたのは良いことではあり、結局東京に郵送されてきたので有難いとは思う。

図書館から十和田南駅までは歩いて30分かかった。すぐ近くに菅江真澄の記念碑がある。江戸時代の旅人はここまで来ている。駅前には和井内の胸像もあった。駅は駅員がいて切符を販売しているが、列車到着のアナウンスなどはなく無人と同じ状態。大湯の環状列石までタクシー10分と書かれているのを見ると、25年ぶりに行ってみたくなったが、既にアイムアップ。

電車はこの駅でスイッチバックする。乗員も交代する。きれいな2両車両、そしていい感じの車窓。40分弱で大館駅まで戻る。夜はなぜか汁なしホルモン麺という強烈なジャンクフードを食べてしまった。あまりにこってり、ニンニクどっさりで体調不良に陥り、疲れてもいたのか、11時間寝込む。自分の歳を切実に感じる。

5月22日(日)盛岡へ

朝ご飯も朝風呂もパスした。昨晩の食事でかなりの重症となり、部屋で大人しくカーリングを見て過ごす。時間になり、大館駅から電車に乗る。盛岡行きっぷを自販機で買おうとしたら、2つのルートが出てきて、しかも1つは料金がバカ高い。駅員に尋ねると、岩手銀河鉄道を経由すれば安いという。2640円。自販機は紛らわしいので困る。同時に自分でちゃんと調べてから来るべきだと知る。

電車は昨日と同じ2両列車。乗客は僅か数人。昨日と同じルートを走っていく。途中鹿野花輪駅で28分停車。運転手さんが何と今日で定年とのアナウンスがあり、ゆかりの人が駅まで来て労っている。いかにもローカル線らしくて良い。この駅は25年前にも来たことがあるが、木製改札もそのままでよい。

そこからダラダラ3時間、電車に乗り続けた。普通の人は特急に乗るか、昨日乗ったバスで盛岡へ行くのだろうが、このローカル線の旅は何とも心地よい時間だった。好摩駅からいわて銀河鉄道に入り、そこから30分で盛岡駅に着いた。盛岡駅はJRの駅もあるのでややこしいのだった。

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