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香港マカオ茶旅2024(5)シグナル8発出

少し風が強くなってきた。まだシグナル8には間がありそうだったので、なんとセントラルに戻り、スターフェリーに乗りに行く。だが乗り場すら忘れてしまっており、右往左往する。ボケとは恐ろしい。何とか辿り着くとそのままアッパーデッキに乗ってしまう。10年ぶりだろうか。景色がいつものより良く見える。ハーバーは波もなく快適な10分間だった。5ドルなら次回からアッパーか。

TSTを散歩して、さっきの宿へ戻り、チェックイン。なかなかいい部屋で外の景色が良く見える。テレビを点けっぱなしにして、これまでの旅のまとめをしていると、いよいよ台風ヤギが接近してきたので、近所のスーパーに買い出しに行く。といっても明日の午後には香港を離れる予定なので、カップ麺とビスケットだけ買う。更に夕飯をどうしようかと考えていたら、すぐ近所に弁当屋があり、そこで適当に弁当を買う。これは安上がりだった。

今晩会う予定だったOさんと連絡を取り、残念ながら取りやめとなる。まあシグルナ8には慣れており、昔と違ってネット繋がるので特に問題はない。時折強い風が窓をたたくが、それほど恐ろしいこともない。雨はそれほど降らなかったようで、夜中に一度窓をたたいた程度で済んだ。香港の被害は最小限に止まった。

9月6日(金)香港空港へ

朝起きてもシグナルは出続けており、会社も学校も今日は休みが確定した。12時過ぎにシグナル3になると言っているのは、相当の配慮だろう。昔なら株式市場や為替市場が大きな問題になっていたが、今はそんなこともないのだろう。小売業や飲食は大きな影響があったかもしれないが。私は午前中ゆっくりと過ごす。

10時過ぎて雨も降っていないので外へ出てみた。まだ8だから、ネーザンロードも車は殆ど走っていない。観光客が多少歩いているだけで、勿論店も全て閉まっている。バスも動いていないので、空港へはMTRしかないだろう。その空港も情報によると正常通り動いているらしい。

12時に宿をチェックアウトして、駅に向かおうとしたら、凄い雨が降ってきて立ち往生した。8が3になる前の最後の抵抗なのだろうか。少し雨に濡れたが何とか駅に辿り着くと、結構乗客がいた。これから30分か1時間すると、出勤の人々が出て来るのだろうが、今はまだ少ない。

本来なら香港駅まで行ってエアポートエクスプレスに乗るのが速いのだが、フライト時間に余裕があるので、電車を2本乗り継いで空港へゆっくり向かう。茘景、青衣、このルートで行くのは全く初めてだ。それにしても青衣から空港まで僅かな時間なのに65ドルも取るのはボッタくりとしか言いようがない。まあ電車が動いているだけ有り難いということだ。

1時間半ほどかけて空港に着いた。中国方面のフライトはいくつか欠航になっていたが、かなりのフライトは順調だった。だが残念ながらチェンマイ行は2時間ディレーしており、更に空港で待ち時間が増えた。朝からあまり食べていなかったので、まずは腹ごしらえ。懐かしいレストランがあったので入ってみたが、小龍包4つと麺を1つ頼んだだけで軽く2000円は越えてしまった。恐ろしくて味も分からない。

出境はすぐに出来てしまったので、後はひたすら待つのみ。空港内はドリンクすら高いので何もできず、ネットを見て過ごす。ゲートは一番端で、今まで来たことがない場所。人も少なく静かでよかった。香港のLCCに充てられた場所ということか。大阪行きには多くの人が乗って行く。雨は断続的に降っており、シグナルは3のままだ。

結局4時間ほど待ってついに搭乗となる。乗客は7割程度だろうか。台風でもみんな観光旅行へ行くんだな。約3時間乗って、何とかチェンマイ空港に辿り着く。正直ほっとして腹が減る。宿の横の店はもう閉まっているかと思ったら、時差が1時間あり、何とか炒飯にありついた。こっちは野菜炒めも入れて、500円だった。

香港マカオ茶旅2024(4)消えゆく香港

宿で荷物を取り、もう一度バスに揺られて、フェリー乗り場へ取って返す。たいした時間でないからよい。買ったチケットの時間より2本速いフェリーがあり、それに簡単に乗れるのが香港式だ。ただフェリー自体の到着が遅れ、ちょっと時間はロスしたが、何とも懐かしい船旅となる。フェリー自体は特に変わっていないが、私が乗った船は遅い方だと気が付いた。

1時間半近くかかってようやく上環のターミナルに着く。実にスピーディな入境対応で有難い。出口を出ると、すっかり景色が変わっており、MTRの駅への道が分からなくなっていた。MTRも昔はここが始発だったのだが、現在は大勢の人がやってくる電車を待つ駅になってしまった。

たった一駅乗ってセントラルで下車。ここで今回の用事を済ませる。香港も色々と面倒になっていると感じる。そういえば、台風が近づいていた。既にシグナル1が出ており、明日は8になるだろうと言われると、何となくウキウキしてしまうのは昔の習慣だろうか。何しろ8が出れば会社は休みだったから。

目の前にマンダリンオリエンタルホテルがあったので、思わず入ってしまった。30年前シグナル8直前に帰宅する際は、いつもここのフルーツパウンドケーキを買ったものだ。2階にベーカーリーはあったが、フルーツは既にバナナに変わっている。これを聞いた年輩の店員に『よくご存じね』と言われたのは、ちょっと嬉しかった。

取り敢えず用事は終えたので、TST側の予約した宿へ向かった。昔からあるホテルだが、料金が昨年と比べたら半額だろうか。これも中国経済低迷の恩恵?と言っていいのか。かなり広い部屋で、かつ窓からの景色もあるのは嬉しい。これなら偶には香港へも来られるだろうか。

少し休んでから、またMTRに乗る。今晩はYさんと待ち合わせ。場所は初めて行く(いや、その昔は行った?)彩虹。駅を出ると、昔懐かしい香港の下町風景が現れる。そんな通りを歩いて行くと、古めかしい建物が見えてくる。今晩ご飯を食べる老舗食堂だ。遠くに高層ビルが見える中、平然としているようにみえる。この地域は開発から取り残されているが、いよいよ数年内には立ち退き、再建が始めるらしい。

昔は大賑わいだったというこの店、今日はなんだか空いている。景気低迷の煽りだろうか。クリスピーチキン、イカのフリッター、上湯野菜がテーブルの上に乗る。何とも嬉しい夕飯だ。1つずつの皿が大きいので、2人ではこれ以上食べられないのが残念だった。Yさんと近況を話しながら、ゆっくりと食べていく。もうこの風景は見られないかも、と思うと何とも悲しい。

9月5日(木)シグナル8発出

朝起きてテレビを点けるとシグルナ3になっている。しかも夕方には8が出るだろうと言っている。これは急がないと全てが止まってしまう。まずは今の宿を出て近所に引っ越した。さすが香港、昨日は安かったこの宿、今日は料金が跳ね上がっていた。仕方なく新しくできた宿へ荷物を預ける。今晩はここに籠城することになるだろう。

朝ご飯を近所で探し、パッと入る。50ドル近くする立派な朝飯セット。まあボリュームもあるので満足せざるを得ない。宿の料金は乱高下するが、物価は急には下がらない。MTRでまた香港島へ渡り、昨日の続きの所要を済ませる。そしてそのままトラムに乗り、上環へ回る。

福建茶行、5年前にミャンマー華商の調査で突然訪れた茶行。すると何と中に知り合いが座っていてびっくりしたという思い出がある。その時に会ったオーナーの楊さんと再会したが、私のことは覚えていなかった。それでも1950₋60年代の香港茶市場の様子を色々と話くれたのは、何とも有難い。台湾白茶、プーアル熟茶、六堡茶など、貴重な証言を得る。

ついでに近所の堯陽茶行にも立ち寄る。番頭さんと挨拶して、オーナーの王さんに色々と聞いてみたが、王さんが茶業の携わったのは遅かったので、昔のことはあまり知らないという。もうこういう歴史調査も限界が来ていると感じる。特に香港のようにビジネス第一の世界では歴史を辿るのは難しい。

香港マカオ茶旅2024(3)マカオ散策

これでマカオでのミッションを果たしたので、ここからは自由だ。バスに乗って林則徐記念館を目指した。蓮峯廟というかなり古い寺があり、その敷地内にあった。マカオ返還直前に建てられたこの記念館、やはり中国の息がかかっている。マカオでもアヘン貿易はかなりあっただろうから、この辺の歴史が中心だ。

それから反対側の古廟を見て、坂をだらだら上っていく。モンハの丘、と呼ばれ、アヘン戦争当時砦があった場所だ。この上からはマカオが良く見えたが、今は何もない。この下で1844年にアメリカと望厦条約(中国がイギリスと南京条約を結んだことに習う)が締結された歴史的場所でもある。20年前にマカオ歴史散歩をやった時に歩いているはずだが、何も思い出せない。

そこからバスに乗り、タイパ島に向かった。10数年ぶりだろうか。バスをちょっと乗り間違えて、目的地から少し離れた場所で降りたら、そこには教会があり、結婚写真を撮るカップルなどがいる。こんな場所もあるのかと、初めて知るが、観光客も多い。その先に昔行ったポルトガルレストランがあったはずだが、どうしても見つからず、迷子になる。

この付近は観光客が多くて疲れる。取り敢えず適当にポルトガルレストランと書いてある店に入ったら、ちゃんと1席だけ空いていた。面倒なのでセットランチを頼んだが、残念ながらそれほど美味しいとは思われなかった。アラカルトで頼めばよかったのかもしれないが、それだと昼から大盤振る舞いになるので止めた。店員が私に広東語で話し掛け、英語で返すと首を傾げていた。

その辺をフラフラしたが、疲れてしまい、またバスに乗る。橋を渡るとリスボアが見えたので思わず降りてしまう。私が1987年に初めてマカオに来た時、ここのカジノで訳も分からず『大小』をやってちょっと勝ったいい思い出がある。中に入ってみると、その昔とは雰囲気ががらりと変わり、観光客が行き交う場所になっている。その数もずいぶん減っているように見えたがどうだろうか。

ナタを売る店は相変わらず客でごった返しており、お気に入りのホートン図書館へも行ってみたが、残念ながらエアコンもなく、暑くて退散した。宿で休んでから夕方出てみるとちょっと涼しくなっている。麺でも食べようかと歩いていると、潮州系の魚蛋麵があった。ただなんとカレーも付いているのは、マカオ風に仕立てたということだろうか。

9月4日(水)香港へ

今日は香港への移動日。朝ちょっとだけ媽祖廟に寄りたかったのだが、何と道路工事で大渋滞が発生していた。仕方なく、反対側のバスに乗り、フェリー乗り場を確認しに行く。1990年代から2005年まで、一体何度このフェリー乗り場にやってきたことだろう。だが今や橋も出来て、タイパ島も大いに発展しており、このフェリー乗り場は何となく寂しい。バスも何だか遠くに停まってしまい、10分も歩いて何とか到着。折角なのでチケットを購入しておく。

帰りのバスも渋滞だったが、なんとか宿近くまで戻ると、ちょうど如何にも前世紀の遺物という感じの餐庁が出現した。ちょっと迷ったが、思い切って入ってみる。そこにいる客はおじさんのみ。朝から酒を飲んでいるグループすらある。店主も広東語で応対する。何とも懐かしい風景だった。

細い麺の焼きそばと点心を2つほど頼み、後は茶を飲んで過ごす。この点心と茶の組合せは絶妙(昔から食べなれているから)で、今や香港ではあまり見られない風景がマカオに乗っていることに涙する。ただ料金だけが数倍に跳ね上がっており、また基本的にマカオパタカで計算するのが祖国復帰後のマカオだった。

香港マカオ茶旅2024(2)マカオ英記茶荘を再訪する

何とか見慣れた通りでバスを降りたが、目指すホテルが全く見付からない。多少土地勘はあるのだが、なんだかおかしい。道路工事の影響だろうか。適当に歩いていると、あるはずのない所にホテルが忽然と現れて救われる。フロントの女性は最初から普通話を使い、パスポートを見せると『あんた、英語も出来るの、凄いね』という。きっと中国からの出稼ぎだろうが、愛想がよくて楽しい。

部屋は思ったより新しくきれいでよい。コロナ前はマカオのホテルも高騰していたが、今は中国の不景気のせいか、随分安くなったと感じる。有難い。そこから早めの夕飯を、と思い、昔行ったマカオレストランを探すがやはり見つからない。フラフラ歩いていると、十月五初街に出た。昔見た廟があり、明日行く予定の茶荘も健在のようだ。

その先をずっと歩くと、カレー屋があった。マカオ返還直前に出来た店で、実は結構有名らしいが、それほど客はいなかった。ここでも最初から普通話で話し掛けられ、鶏撈麺と凍寧茶を注文する。何となくアフリカンチキンと広東麺という組合せが好きだ。久しぶりに凍寧茶も香港を思い出させる。ただ料金はこれで日本円1300円を越える。やはり物価は高い。

日暮れ前のセナド広場に行くとさすがに観光客が多い。中秋節、如何にもここは中国だ。銀行で香港ドルを引き出そうとしたが、銀聯カードを使ったが出て来ない。理由は不明だが、機械に身分証をかざすところなどもある。懐かしい鉅記に入ると、蛋餅が売っており、つい買いこんでしまう。店の女性が『あんた、なかなか通だね』と言われてちょっと嬉しい。

9月3日(火)老舗茶荘へ

朝飯を探して外へ出てみる。まずは香港ドルを確保する必要があり、宿の横にあった両替所で持っていた人民元を変えてみる。最近マカオの料金表示はマカオパタカが多い。それをまた香港ドルに少し修正するのは面倒くさい。それでもマカオは香港ではない、という主張だろうか。

坂を上っていくと、食堂があった。何となくフラッとは入ってしまう。観光客が多いマカオ中心部で、ここは地元民もかなり来ている店。白粥と書かれていたが、滷肉拌腸粉に惹かれた。これは肉みそが実に美味い。この食べ方は潮州だろうか。粥と茶を入れても、それほど高くないのがよい。

そこから歩いて十月五初街へ。昨日も来たが、よく見てみると、まだ古い茶楼が残っている。ここで1960年代に六堡茶が飲まれていた、との記述を先日見ていたので、ちょっと感慨深い。その先にはその茶を供給したであろう、英記茶荘が見える。まだあってよかった、と中へ入ると、9年前に会った夫妻がいた。私は前回香港長洲島のお爺さんに言われて、ここのお爺さんに会いに来たのだが、お爺さんは何と昨年末95歳で亡くなっていた。

息子夫妻が店を引き継ぎ(9年前にはもう引き継いでいただろう)、今も昔ながらの商売をしていた。創業は1932年、この付近で唯一残っている老舗茶荘だ。息子にいくつか質問してみたが、前回のお爺さん同様、あまり明確な答えは得られなかった。正直茶の歴史についてはあまり興味がない、というのが本音ではなかろうか。

ただ白茶は政和産を以前から扱っていること、プーアル熟茶は散茶状態で雲南から仕入れて、マカオでも常連さんは散茶を買っていくことなどは分かった。以前は日本人客も多く買いに来ていたが、今やほとんど来ないともいう。私は前回買ってとても良かったプーアル散茶と壽眉を購入した。あまりたくさん買うと持って帰れないので少ししか買えなかったのは残念だった。

香港マカオ茶旅2024(1)香港空港からマカオへ

《香港マカオ茶旅2024》  2024年9月2日‐9月6日

チェンマイへ来て1か月。ちょっと外へ出てみようと思い、用事のある香港行チケットを取った。するとマカオの茶荘の歴史が知りたくなり、引き寄せられるように香港空港からマカオへ直行する。懐かしいマカオフェリーで香港へ上陸するも、これまた懐かしいシグナル8に遭遇し?さて、どうなる。

9月2日(月)チェンマイからマカオへ

朝起きるとすぐに朝食を食べに行く。今日は香港へ行く日なのだが、なぜかカオマンガイを食べている。いつものようにBoltで車を呼び、空港へ向かった。香港エクスプレス、今回私は予約間違いを起こしてしまい、多大な損害を被った。その一端はこの航空会社にも責任あると思うのだが、やはりボケの進行は深刻だった。そして香港は油断できない場所だったと改めて思い返して、地団太を踏む。

チェックインはスムーズで、香港・マカオのシムカードもAISで購入した。本当は中国・マカオのシムカードは既に買ってあったのだが、マカオから香港へ移る際にまた変更するのが面倒だったのだ。これで中国シムは期限が過ぎてしまうので、無駄になってしまったが、今やそんな頭も回らないので、シンプルに動くしかない。

フライトは順調で、座席は非常口。ここは有料席なのか、誰も座って来ないので、3席を独り占めした。ただでさえ普通より広いのでかなり快適な空の旅となる。でももし万が一のことがあったら、非常口は私が開けなければならない。そう思うと、初めてまじめに説明書を読み始めた。LCCは食事も何も出ないので静かな2時間半が過ぎる。

時差が1時間あるので、到着したらもう2時半だった。慣れ親しんだ香港の空港だが、今回はここで入国せず、マカオと書かれた方向に進んでいく。香港入境直前のところに、マカオ行きのバスとフェリーチケット売場があり、ここでパスポートを出すと、何と無料チケットをくれる。これはマカオの観光キャンペーンで、もし普通に買えば5000円ぐらいするらしいから、何とも嬉しい。

指示された場所を降りていくと、シャトルがやってきてバスターミナルまで連れて行ってくれる。今回私は預け荷物が無いので、ターミナルに着くと、すぐにバスまで直行して乗ることが出来た。何ともスピーディな展開に、久しぶりの香港を感じて、これまた嬉しくなってしまう。

バスには数人しか乗っていない。まあ平日の午後だからこんなものか。香港マカオ大橋なるものが出来ても、一度も渡ったことがなかったので、これはちょうどよい機会だった。橋は長く、単調な走行が続く。車もあまり走っていない。まあ香港空港からそのままマカオへ行けるのだから、文句は言うまい。

約40分でマカオ側に辿り着く。イミグレに向かうと、向こうから出て来る人々が多い。昼間マカオでカジノにでも行って、香港に帰るのだろう。それに比べてマカオへ入国する人は少ない。なので、広い入境審査場も、パスポート保持者の列は1列だけだったが、すぐに通過した。

ここからどうやって市内へ行くのか分からなかったが、バスがあるようだ。ところが香港ドルの小銭が無いので、支払いが出来ない。コンビニに戻ってマカオパスなるものを購入したが、何と130ドルもする。デポが30ドルらしいが、これはどうやって返却されるのだろうか。説明などは当然何もない。

バスはリスボア方面へ行くらしいが、いきなり中国国境の横を通った。そうか、珠海にも行けるのだ。だが我々日本人はビザが無いと難しい。満員のバスはどこを走っているのかよく分からない。そして何だかGoogle Mapもちょっとおかしい。バス停などの表示が合わない。どうしてだろうか。

香港・深圳茶旅2023(8)香港フラフラ

その奥に、元ホテルだという不思議な建物が建っている。中に入るとレトロな雰囲気で、多くの映画の舞台にもなったらしい。壁にはたくさんのスターの写真が飾られている。元々Kさんは、ここでハトを食べようと思い、選んだらしい。まあ何よりもお客が少なく、ゆっくりと話が出来るのは有難い。

のっけから畲族が登場したので、鳩肉を食べながら、潮州人、客家などの言語学的違いについて、色々と教えてもらった。香港にも多い潮州人とは一体どんな人々なのか。突如注目されてから30年の客家、そして誰も知らない畲族との関わりや如何に。知りたことだらけだが、分かることは多くはない。

3時間も話し込み、店を出た。私は沙田にある銀行へ向かった。ここでも手続きに色々と時間は掛ったが、中国のような緊張感はない。ただ店内では何とも横柄な普通話が飛び交っており、英語を話す客など稀らしい。彼らは大事な客だろうが、私はどうでもいい客なので、その対応は何となく雑になる。

ネーザンロードまでMTRで進む。よく知っているが泊ったことのない宿を予約してみた。当日予約だから高いのかと思ったら、当日でいい部屋しかなかったのだと、チェックインして分かる。まあ香港も深圳も本当にコスパは良くない。やはり私は東南アジアが好きになっている。因みにこの宿には電源アダプターがちゃんと備え付けられていた。

もう夕方なので廟街を歩いてみる。やはり昔の熱気はないようで、屋台は出ているものの静かな感じだ。何となく吸い込まれるようにチェーン店に入り、何となく牛喃カレーを食す。うーん、やはり九龍城迄行きたい。暗くなってからもう一度廟街を通ると、食事をする人が多く見られた。こういうところは一人で食べるのが難しいのでパス。ネーザンロードに戻ると、そこには安い弁当を売る店があり、大繁盛していた。香港庶民も厳しい現実に直面している。

5月10日(水)台北へ

朝は早く目覚めた。今日は台北に帰る日だが、香港への未練はあまりない。取り敢えず散歩に出て、油麻地の天后廟にご挨拶する。それから朝ご飯を探して茶餐庁に入る。人が多くてごちゃごちゃしているのは香港らしいが、料金はうんざりするほど高くなっている。それでも何とか食べていると、中国人観光客家族が入ってきて、めちゃくちゃ煩く、退散する。

そのまま油麻地を歩き、更に深水埗までフラフラ歩いて行ってみる。高層建築が目立つ中、古い建物にどうしても目が行ってしまう。いつまで頑張れるのだろうか。深水埗の近づくにつれて、何となく懐かしい香港の風景が出現して、嬉しくなる。ただ人はあまりおらず、いても香港人ではなさそうな顔の人が多い。

深水埗では、鴨寮街でSIMカードを買った。今回の反省を踏まえて、中国でも使えそうなカードを念のため買っておいた。といっても次回いつ中国に行けるのかも分からないのだが、まあ保険の意味合いが強い。その辺で雲吞麺を頬張る。やはり香港に来たら、一度は食べておこうと思う。

MTRに乗って、尖沙咀へ。普段はあまり歩きたくない所だが、偶には行ってみたくなる。ペニンシュラーホテルは健在で、ネーザンロードも人が多い。重慶マンション、懐かしい。結局横道に入る時間はなく、ただネーザンロードを北上しただけだったが、それでもやはり香港が強く感じられる。古き良き香港、などという言い方は、香港には似合わない。

ホテルまで戻り、チェックアウトする。宿のスタバで林さんと会う。東京以来4年ぶりだろうか。大学時代からの知り合いだから、もう40年になる。私は実は正確な彼の年を知らなかったが、既に70歳を超えていると聞き、驚く。まあ元気でよかった。よもやま話をしているとすぐに時間は過ぎてしまう。

林さんと別れて、空港バスに乗る。急にトイレに行きたくなり、一本逃してしまうと、なかなか来なくて不安になる。ようやく乗り込むと、何となく眠くなる。1時間で空港まで到着する。コロナ禍で空港内部もちょっと変化が感じられた。2003年のSARSの時を思い出すと、香港への影響は甚大だった。

人の移動が止まれば香港は死んでしまう、という恐ろしい体験をしたので、今回の被害も甚大だったはずだ。今や空港に人が戻り、結構混雑しているように見えるが、果たしてどれほど回復しているのだろうか。今更香港の将来をどうこういっても仕方がないが、やはり心配ではある。

香港・深圳茶旅2023(6)中英街と茶葉世界で

5月8日(月)深圳茶葉世界

宿は深圳の中心部。周囲は高層ビルで囲まれている。どうなんだろう、この風景。30年前は香港が高層ビルで囲まれていたのに、今は深圳の方がすごい。朝ご飯は上の階へ行く。窓はなく、薄暗い室内で食べる。食事内容はコロナ前とほぼ変わっていない、健康系のように感じるがどうだろうか。

そのまま外へ出る。小雨が降っているがあまり気にならない。ただ既に昨晩かなり降ったようで、所々に水が溜まっているので地下道を通る。深圳も交通量が増え、歩行者の横断は地下道でさせるようにしている。本日の、いや今回深圳訪問の目的地はその先のビルの中にあった。

中国の銀行に口座を持っていると時々機能が停止する。今回はコロナ禍で3年以上使っていなかったので当然止まるとは思っていたが、これを再開するためには中国内へ行かなければならない。中には口座を開いた店へ行かなければ手続きしない銀行もあるようだが、私が使っているところは簡単に再開できてよかった。これで支付宝にもチャージできるので、普通に使えるようになる。この現金が全く流通しない社会では、支付宝が命綱となる。

あまりにあっけなく解決したので、午前中をどう過ごすか考えた。ちょっと地下鉄で遠出しようと思い、思いついたのが沙頭角。ここは昔中英街の件で来たことがあるが、それ以来だろう。地下鉄の切符を買うのに紙幣がはねられたので、今回は係員を見付けて、コインと代えてもらい、無事購入した。

沙頭角駅がいつできたのかは知らないが、私が知っているところとイメージがかなり違っていた。駅から数分歩くと沙頭角の辺境が見えてくる。村人だけが行き来できた以前とは違い、今では中国人観光客が中英街を目指して、専用入り口から入っていく。残念ながら外国人は入れないようで、そのまま引き返すしかない。ただその周辺には立派なマンションが立ち並び、その発展を見ることは出来た。

そこから中心部に引き返し、羅湖駅前にある茶葉世界に行く。まずは腹ごしらえと、その近くにある昔よく行った食堂に入ったが、経営が変わったのか、料金は高くなり、味は落ちており、かなり残念な状況だった。まあ、これも時の流れと諦めるしかない。この周辺、駅前なのに以前と比べて人通りがかなり少ない。

茶葉世界はそのまま残っていた。だが2階に上がっても、人は殆どいない。完全に閑古鳥が鳴いている。馴染みの店に行ってみたが、不在だった。もう一軒は引っ越したのか、それとも閉鎖してしまったのか見付からない。何だか完全に取り残された感じとなり、早々に立ち去ろうかと思った。

フラフラ歩いていると見慣れた名前の看板がある。あれと思い、中に入ると、ご主人の笑顔があった。ちょうどコロナの頃にこの場所に引っ越したらしい。元々岩茶の店だが、今や黒茶類が大半を占めている。茶を飲みながら世間話をしていると、コロナ禍の大変さが伝わってきた。それでも20年も店をやっていれば常連客がおり、基本的に個人より飲食店などへの卸しは影響が少なかったようだ。

もう一軒の店ももう一度覗いてみると帰ってきていた。ご主人は公務員を退職してもう10年近い。夫婦二人で店をやっているが、お客が来ることは稀だという。今は全てが微信なので、直接顧客と会うことは本当に少ない。そして現金を受け取らなければ、偽札を掴むこともなく、会計も全て機械でできるので、個人商店としては本当に有り難いという。確かにその通りだ。慣れてしまえば、こんな便利な社会もない。さすがに店舗が無いと信用度が下がるらしいが、それ以外問題はない。

香港・深圳茶旅2023(5)4年ぶりの深圳では

深圳で

懐かしの深圳に入った。相変わらず人が多く、出口には人だかりが出来ている。その中にシムカードを売る人々もいた。彼らに中国移動香港のシム、というと、小雨が降る中、ちゃんと店まで連れて行ってくれた。店の女性が私のスマホにシムを差し込んだが、このシムも作動しなかった。これは私のスマホの問題なのか。30分ほどあれこれやったが、結局使えず、店を後にした。因みに代金は払わなかったが、ここだけは現金でも良いと言われた。

中国国内のシムは持っていたので、それを使って本日の宿を予約して、地下鉄で向かう。地下鉄1号線の駅はどこだ。迷う。それほどに深圳の地下鉄は路線が伸びている。何とか探し当てて改札へ行くと、皆がスマホスキャンで通っていく。私は切符を買おうとしたが、10台ほどある自販機の9台は使用停止だった。残り1台も勿論100元札など入らず、古い札を入れてみたが、はじかれてしまう。コインを探して何とか切符を買う。僅か3元が払えない恐怖。

地下鉄で3駅乗って大劇院で下車。ここから歩いて予約した宿へ向かう。道はよくわからなかったが、スマホ地図で何とか辿り着く。深圳の街が何となく静かに見えたのは気のせいだろうか。宿はコロナ前からよく使っていたチェーン店で私は会員だった。チェックインしようとすると、フロントの女性が、『何で予約しましたか』と聞いてくる。この宿のアプリからさ、と答えたら、エッという顔をした。

更に微信は持っていないのかと聞く。何とチェックインも全て微信で行うらしい。彼女は私のスマホを引き取り、すごいスピードで作業を完了した。だが最後の支払いが出来ない。私は微信支付を使っていなかったのだ。支払いは現金でも良いかと聞くと、またエッという顔になったが、何となく頷いたので、4年前の100元札を何枚か取り出したら、『お客様・・』となり、私のスマホから支付宝を見付けて、『こちらから払いましょう』と手続してしまった。私のなけなしの電子マネーは一気に無くなった。これが今の中国なのだと思い知った。

この騒動のせいか、部屋はアップグレードされて、広い。冷蔵庫のドリンクは全て無料。茶葉とお茶道具のお茶セットも用意されている。勿論朝食も付いている。ただ料金は円安も含めれば、コロナ前よりかなり上がっている。それでもお客はひっきりなしにやってくる。エレベーターに乗るにはカードキーが必要であり、カードをかざせば自動的に行き先階に連れて行ってくれる。これはコロナによる自動化だろう。

何となく腹が減ったので、外へ出た。突然蘭州拉麺が食べたいと思い探す。見付けた店に入ると、メニューに羊肉拌麺があり、ついそれを頼んでしまった。店員はウイグル族なのだろうか。味は普通だが、量が非常に多く、それだけで十分腹一杯。勿論支払いはQR決済の一択。最初から現金を出すとか、受け取るとかいった雰囲気は全くない。

腹が一杯になったので少しだけ深圳の街を歩いてみる。歩道を歩いて困るのは、デリバリーを行うミニバイクが縦横無尽に走っていること。ちょっと油断すれば確実に轢かれてしまう。比較的静かな街に、このバイクだけが蠅のようにうるさい。バイク側には時間に追われているという制約があるようだが、事故多発は間違いない。規制すべきだと思うが、どうだろうか。

老街に行ってみたが、雨上がりでも人はそれなりにいた。マスク率は低い。店はどこも開いていて、既にコロナは終わった感がある。賑やかな音楽が中国らしい。少し人がいない公園の方へ歩いて行く。深圳はある意味で人工都市だから、緑は意外と多い。多くの人が憩いの場として活用しているように見える。

帰りに線路脇を通る。列車が走っていく。広州へ行くのだろうか。私は深圳市内にしか行けない身。こういうのを籠の鳥、というのだろうか。しかもこの街には何となく監視されている雰囲気もある。以前のような自由な環境は無いようにも感じられる。景気も良くないのかもしれない。

その夜、部屋に戻ってPCを立ち上げた。なぜか日本のテレビ番組を見ることが出来た。中国国内では、FBもツイッターも見られないはずなのに、なぜか読める。それは中国が緩和したのか、この宿の問題なのか、それともほんの一時なのか。とにかく外の人々への連絡などが出来て良かった。中国国内に入ると、何しろ生存報告も難しい。

香港・深圳茶旅2023(4)恐ろしい中国入境の顛末

ちょうど係員がいたので、無言でスマホを差し出すと、彼も無言でパスポートを見ながら打ち込んでくれた。これは助かった。周囲にはどうしてよいか分からない外国人や高齢者が多数立ち止まっている。私はそこをすり抜け、取得したQRコードをかざして、機械ゲートを通り抜けた。

その先に行くと、あれ。何と入国審査ゲートに出てしまった。驚いて係員に聞くと『ああ、ここにはビザオフィスはないよ。外国人が良く間違えるんだ』と笑いながら言う。この瞬間、私の立ち位置は大いにぐらつく。どうするんだ、と聞くと、『戻るんだよ、香港に』と一言。そこから今来た道を懸命に戻る。途中係員に誰何されても、気にせずに戻る。確かに福田の地下鉄という表示が見える。

ついに香港出国審査の手前まで来た。ここで係員に誘導され、事務所へ入る。そこには数人の同じ境遇の人々がいた。ただその多くは香港人で、回郷証が失効していたために入国を拒否されていた。もう一人日本人の若者がいたが、彼は普通話をまくしたてていたので、深圳に住む駐在員だろうか。

20分ほど待って解放されたが、私はどうしたらよいのだろうか。とにかく一度ここを離れ、羅湖を目指そうか。係員に聞くと『落馬洲-皇崗の間にビザオフィスはあるよ』と教えてくれた。そこへ行く方法はバスかタクシーらしい。取り敢えず駅から地上へ降りてタクシーを探した。かなりの雨が降っており、濡れながらタクシー乗り場へ行くと、緑のタクシーは『ここからは落馬洲も羅湖にも行けないよ』と素っ気ない。

ならばとMTRの駅へ行こうとしたが、なぜかそこに辿り着けない。工事中らしいが、今電車に乗ってきたのに、なぜだろうか。もう一度イミグレに戻ると、係員に文句を言っている香港人がいた。彼に連れられ、駅を目指した。だがどの表示に従っても駅へ行けない。香港人の彼は怒りだした。『香港はいつの間にこんなに劣化したんだ』と。

結局工事中、通行止めの印を無視して、階段を歩いて上がると、そこに駅があった。ここは中国ではなく、香港だろう、と叫びたい気持ちになったが致し方ない。香港も中国になったのだ。何とも言えない気持ちを抱えて、上水で乗り換え、羅湖で降りた。ここは慣れ親しんだ辺境なので、ゆるゆる進む。

そして再度健康チェックがやってきた。私は先ほど既に入力済みだったが、それがどこに保存されているのか、わからなかった。どうしようかと悩んでいたが、ちょうど端っこにデスクがあったので、そこへ進み事情を話し、スクショしたQRを提示したら、そのまま通してくれた。こちらではスマホ操作が出来ない人向けに『人工道』が作られており、何とか抜けることが出来るようだった。それにしても今も中国はコロナ禍なのだろうか。

次にビザ申請に向かう。何時間も立って並ぶことを想定していたが、ここは一つの部屋になっており、外国人が座って待っていた。目測で十数人。まずは外の機械で自分の写真を撮る。順番の番号札を機械から取り、そして申請書を書いて待つ。その間窓口に全く動きはない。ただ番号は表示されているので、いつかは順番が来るだろう。

10分ほど待つと番号を表示され、申請は難なく受け取られた。その後ヨーロッパ人の一団が、ビザを受け取り、費用支払いに呼ばれて人が減る。聞いてみると彼らは午前中から2‐3時間待っていたらしい。午後着いた私の後に来る人はほぼいない。狙い目は午後だったか。落馬洲での出来事も無駄ではなかった。

1時間ほど待ってようやく支払いに呼ばれた。私の前にフランス人が並び、ビザカードを出したが、何故か反応せずにはねられた。彼は人民元の現金を持っていたが、ここでは微信支払、支付宝しか役には立たない。何と彼は係官から『香港へ戻れ』と言われ、すごすご帰っていく。恐ろしい世界だ。

私はかなり緊張したが、スマホに支付宝が入っているので安心していた。ところが昨日トミーが直してくれたシムカードがやはり作動しない。おまけに辺境のため、Wi-Fiが弱く、機能しない。結構焦ったが、代わりにビザカードを差し出すと、何とか反応を見せ、無事ビザ取得となった。このビザは深圳のみ5日間有効の特別ビザで必要は168元だった。

香港・深圳茶旅2023(3)ホンハムから上環へ

近所を見ていると、すき家や丸亀製麺が出店しているが、中国系銀行の支店も多く、この周辺は中国人観光客が来る場所だとよくわかる。昼は旧知のIさんと会うことになっていたので、ふらふら歩いてみる。飲食店が並ぶ一角に小さな上海ラーメン屋があった。何とも懐かしい醤油味のラーメンが食べられた。Iさんが広東語で注文したが、店主は我々が日本人だと分かり、普通話で返してくる。

Iさんが病気だと聞いていたので様子を見に来たわけだが、思いの外元気そうでよかった。積もる話はさておき、歴史話などをするために隣のお茶屋に移動した。若者向けのカフェだが、何と奥には座敷がある。そこに座り込んで2時間も話し込んでしまう。店側にとっては迷惑な客だったろうが、こちらは楽しく過ごす。

そこから香港島に渡るため、歩いてフェリー乗り場へ行く。いつもはスターフェリーに乗るのだが、今回は時間がなさそうなので、ホンハム-北角間を渡る。この路線は夜が早いので、今乗るしかない。料金はスターフェリーと比べれば高い。観光用は政府の補助が出ているのだろうか。何の感慨もなく、僅か10分で北角に着く。

北角の海鮮市場を抜けると、高層ビル街となる。その合間に懐かしい新光劇院があった。広東オペラを上演する劇場で、25年前に一度見た記憶があるが、あまりに長いので、その後は行かなくなった。今やっている演目は『毛沢東と四人組』らしい。お客は入っているだろうか。昔ここ北角の山の上に住んでいたが、下に降りてくることはあまりなかった。

MTRに乗って上環まで行く。ここには行きたい茶荘があったが、残念ながら待ち合わせの時間となってしまい、次回に持ち越した。待ち合わせたトミーとカフェに入る。そして私の懸案となっている、中国移動のシムカードの接続をお願いした。いつもは簡単にやってしまう彼が苦戦しており、広東語で中国移動に電話して1時間もかけて何とか繋がった。一体これはどういう状況なのか、私にはさっぱり分からないが、とにかく感謝しかない。

ちょうどその作業中、約束していたOさんが店の前を通りかかる。慌てて捕まえてそのまま一緒に作業を待つ。それから場所を老舗レストランへ移動して、夕飯を食べた。この店に来るのは恐らく10数年ぶり。トミーも『こういう店は来ないんだよな』と言いながら結構食べている。伝統的な広東料理というのだろうか。腹一杯食べて眠くなりながら、地下鉄で宿に戻る。

5月7日(日)深圳入国で体験したこと

今朝は9時からオンラインがあるので、早めに朝食を取る。何となく雑ではあるが、まあ満足できる食べ物だった。部屋に帰り、コーヒーを淹れ、ハーバーを眺めながら時間まで過ごす。オンラインは特に問題もなく、11時には終了する。それから急いで荷物を詰めてチェックアウトして、MTRに乗り、深圳を目指した。

九龍塘で乗り換える。昔は九龍鉄道と言っていたが、今やここもMTR。羅湖まで一体何度この鉄道に乗ったことだろう。ここは特に変わりはない。ただ本日は羅湖ではなく、落馬洲へ向かうため、上水でまた乗り換える。落馬洲にはバスで何度も行ったことがあるが、鉄道で行くのは初めて。

落馬洲駅で香港出境。これは簡単に進む。そこで係員に『中国ビザを取るオフィスはこの先にあるか』と聞くと、あるというので進んでいく。今日は日曜日だからか、人はかなり多い。少し行くと行列が出来ている。何と健康チェックがあった。健康カードを書くのかと探すと、皆がスマホに目をやっている。スマホでスキャンしたQRコードを読み込み、それに打ち込むらしいがよく分からない。