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香港でちょっと茶旅2018(3)懐かしい人々と会う

12月12日(水)
懐かしい再会

今朝はホテルの朝食でスタート。やはりここのご飯はそれなりに充実している。常に混んでおり、席の確保が大変だ。ビジネスマンがさっさと食べている傍らで、妙齢の女性がゆっくり食べている。中国人男性はここでも山盛り、そしてスマホで電話しまくる。洋食からインド系、和食まで、何でもあるので私は食べまくる。部屋代は朝食込みながら、一応サインをさせられるとドキッとするのも変わらない。

 

昨日支店で断られたHSBC、今日はわざわざ本店に行って見る。すると対応がまるで違う。ただATMで現金が引き出せなかった原因は『カードの破損』と認定され、再発行になってしまった。ところが別の部署でこの話をするともう一度確認すると言ってカードをATMに入れると見事にお金が出てきた。『カードは壊れていないが、すでに再発行が行われたので、すぐにこのカードは使えなくなる』とは困った。

 

因みにHSBCは外資銀行だ、とのコメントを頂いたが、香港に10年住んだものとしては、最大の発券銀行であり、名前に香港が付き、何より地元民が『香港バンク』と言っているHSBCこそ、地場銀行の代表だと勝手に考えている。この銀行の長い歴史を考えると、往時は茶葉金融もかなりやっており、興味は尽きない。

 

昼頃、今回のメインイベントに出掛ける。場所は懐かしの?日本人クラブ(移転後2回目の訪問)。久しぶりに事務局のSさんにも会って昔話に花が咲く。今日はアジア情勢というより、お茶から見るアジア、アジア茶の現状をお話ししたが、果たしてどれほどお役に立っただろうか。

 

それから中環へ向かった。ちょっと慌ててMTRに乗り込んだのだが、中環駅で降りると、オクトパスカードがない。最近のボケはここまで来たか。遅れてはいけないのでかなり焦ったが、窓口で失くしたことを話すと、即座に臨時カードで出してくれ、改札を出られた。新しいカードを買うと『今回は災難でしたね、次回気を付けて』と言って今回の乗車運賃は取られなかった。日本なら説明だけで大変だっただろうな、さすが香港。

 

香港に来る前、Wさんという方からメールをもらった。香港に来るなら会いたい、という。誰かと思っていたら、北京でご一緒した方で、アメリカに行っていると思っていたら、何と2週間前に香港に赴任していた。そのWさんは今や香港日本人社会のトップだった。ちょっと緊張してエクスチェンジスクエアーに伺ったが、偉くなられても相変わらず気さくで柔和。そして滋賀のお茶をアメリカに売り込んだと言い、お茶の勉強までされており、お茶談義をしてしまった。確かに北京でうちのお茶会にも時々来て頂いていたが、実に多趣味だ。

 

中環から上環まで歩いて行く。もう夕方だが、旧知の堯陽茶行に行き、いつもの王さんに挨拶しながら、鉄観音茶の香港での歴史を聞く。彼らは安渓の出身だが、元々鉄観音の取り扱いは多くはなかったようだ。1970年代までは炭焙煎だったが、量が増えて電炉に変わったという。先日訪ねたバンコックの集友茶行や王有記ともやはり繋がりはあった。

 

更にはお向かいの林奇苑に飛び込み、ちょうどいた先代老板(以前に何度も会ってはいる)にいきなり、『林奇苑という名はどこから採ったのか』と不躾な質問を始めた。実はこの名前、戦前厦門の大茶商であったことは、先日のバンコックで確認していたが、今の老板は潮州人。やはり何の関係もないことが分かり、すぐに退散。

 

部屋に戻って最後の夕日を眺め、夜7時に銅鑼湾のタイムズスクエア―に行く。今晩は北京繋がりで、最近香港に越してきたIさんと会う。市場の横の食堂で海鮮を食べるというので、旧知のOさん、Yさんにも声掛けし、更に知り合いの知り合いというO夫妻も加わり、賑やかに食事をした。Iさん以外は香港歴20年以上のベテランで、香港話の内容もそれなりに濃い。涼しいので鍋が体に沁みる。

 

12月13日(木)
茶縁坊に寄って

今朝はエクセルシオールにお別れした。実にあっけない。まあこういうものが歴史になっていく。荷物を引いてバスに乗り、また上環に向かった。高さんには連絡してあり、香港を離れる前にちょっとの時間を茶縁坊で過した。こことのお付き合いももうすぐ20年になる。やはり老舗お茶屋の話や鉄観音の話を聞く。

 

香港の喧騒の中で、ここにいる時は何とも落ち着くのがよい。安渓大坪からも沢山の華僑が排出されており、先日のヤンゴン、張源美のように有名になった茶商もいる。だが大多数は無名で終わる。ただその人々にも人生があり、日々の営みがあったのだ。歴史はそれを全て掘り起こすことは出来ない。自分が今体験している付き合いでしか、分からない。

 

空港に行く時もやはり空港バスに乗ってしまう。先日に失敗があったものの、上環からなら、渋滞も避けられるので問題はなかった。今回の3泊4日の旅はあっという間に過ぎてしまった。やはり香港にはなにがしかの愛着があり、もう少し長居したい場所だ、としみじみ思いながら、帰路に就く。

香港でちょっと茶旅2018(2)観塘の出会い

12月11日(火)
大学駅へ行くはずが

今回1泊したホテルは近くのホテルの系列店として出来たばかりでとてもきれいだったが、如何にも香港らしくかなりコンパクトな作り。ボーイのおじさんは日本語を話しているので、本店から回って来たのだろう。部屋の冷蔵庫の飲み物は無料だったが、やはり4本中2本はビール。お客の嗜好に合わせて替えて欲しいな。わがままか。

 

朝部屋をチェックアウトして、荷物を預けて、バス乗り場に向かう。この時期の香港としては気温がかなり低く、厚着が必要だった。今日は新界まで行くので、バスでハーバーを渡り、そこから列車で大学駅まで行くつもりだった。100番台のバスは全てハーバーを越えると思い込み、来たバスに乗ったのだが、どうも様子がおかしい。香港島の中へ切り込み、ついにはアバディーントンネルに入ってしまった。

 

完全に方向を間違えたと思ったが、トンネルは長い。どこで降りれば反対方向へ行けるか考えているとトンネルを抜けた。そこにはなんとMTRの駅があるではないか。海洋公園、そんな駅、いつから出来たんだ。祈る思いでそこへ行き、このMTRの行先を確認すると金鐘だった。しかも乗車僅か10分で金鐘に着いてしまった。さすが香港のスピード感。

 

金鐘で満員のMTRに乗り換えて、旺角でも乗り換えて、何と約束時間の少し前に大学駅に着いてしまった。これには正直驚いた。バスの時間が読めないので少し早く出たとはいえ、こんなことってあるのだろうか。それにしても、バスを乗り間違えるとは本当にボケが進んでいる。

 

今日は旧知のKさんと会った。駅前の中文大学の施設、最近は試験シーズンとかで、かなりひっそりしていた。そこでブランチを頂きながら、話をした。ここ2回ほど香港に来ると必ず、彼に会っていた。何しろ話していると、歴史に関する新たな視点が見えてきて、とても面白いのだ。言語学、民俗学、アジアの歴史、凝縮された内容で、歴史は一方向からのみ見ていてはダメだ、と思わされる。

 

2時間はあっという間に過ぎてしまう。昼を過ぎて少し時間があったので、MTRでホンハムまで戻り、香港歴史博物館を訪ねてみた。前から行きたいと思いながら、なかなか時間が取れなかったので、いい機会だと思って勇んでいったが、火曜は休館日だった。何と間の悪いことだろうか。次回を期して、黙々と去る。

 

お茶ビルとの出会い
午後は観塘に向かう。25年来の知り合いであるNさんから先日『香港で茶のイベントをやっている人たちがいる。紹介しようか』という話が舞い込んだ。正直茶の歴史は、イベント活動とは、合わないのではないか、と思っていた。だが折角ご連絡を頂いたので、どんなところか一度訪ねてみることにした。

 

観塘は昔繊維などの工場が立ち並ぶ場所というイメージがあったが、訪れることは稀だった。駅前にはショッピングモールがあったが、ちょっと歩くと、昔の香港が少し垣間見られる。指定されたビルに着くと、やはり昔の工場ビルの雰囲気が残っていた。そこで日本人のHさん、Nさんと合流した。

 

お二人の香港歴は私より長く、既に30年に達していた。元はやはり繊維関連の仕事をしていたというのだが、それがどうお茶と結びつくのか。ビルに入ると、きれいなティーショップになっていて驚く。更に上の階に上がると茶館のようなスペースがあり、様々なお茶が飲めるようになっていた。

 

このビルのオーナーは不動産などで財を成した方で、香港だけではなく、北京の有名地区の開発も手掛けていた。そのお嬢さんがお茶事業を行っているという。元は福建出身で岩茶などがメイン、武夷山に茶工場も持っているという。そしてこのビル一棟のスペースを使い、茶館、イベントスペース、博物館などを作り、ビジネスを広げようとしていた。

 

特に私の目を引いたのが、お茶関連の骨董コレクション。昔の茶缶や茶などがふんだんに置かれており、ちょっと圧倒される。現在喫茶スペースを整理して、今後は定期的にイベントを行い、茶の普及に努めるという。何だかとても面白い、不思議な空間に紛れ込んだようで、興味をそそられた。Hさんはここで音楽と茶をコラボしたライブなどの開催で、検討が進んでいるようだ。会話は英語と普通話が半々。

 

観塘からMTRに乗り北角経由で天后に戻る。こういう便利なルートが出てきており、今まで遠いと感じていた観塘が非常に身近に感じられた。ホテルに荷物を取りに行き、そのままエクセルシオールに向かう。ここに初めて泊まったのは1980年代後半だろうか。場所が便利なのでここには何度も泊まった。2階のカフェにもよく行った。

 

チェックインは混んでおり、クリスマス前のこのシーズンは繁忙期だと分かる。部屋に入ると、ビクトリアハーバーが見えたので思わず写真に収める。いつの間にか日本人客用のグッズ(浴衣と煎茶)も届き、懐かしい雰囲気となる。夕暮れを見ながら、ゆっくりと部屋で過した。

 

夜は翌日の打ち合わせを兼ねて食事。銅鑼湾の海鮮料理屋で、蝦やホタテをご馳走になる。この会社の責任者がちょうど交代する時期で、ご挨拶を兼ねていたが、新任は女性だった。今はあいさつ回りの最中で、忙しい中、付き合って頂き、感謝。

香港でちょっと茶旅2018(1)波乱の初日

《香港でちょっと茶旅2018》  2018年12月10-13日

今年2回目の香港。30年以上前から泊まっていた銅鑼湾のエクセルシオールホテルがもうすぐ無くなると聞いた。閉鎖前に一度行って泊まりたいな、と思っていたら、ちょうどいいお話が飛び込んできたので、少しタイトなスケジュールの中、香港に飛び出してみた。

 

12月10日(月)
香港まで

香港行きのフライトは近年、中国行きや台湾行に比べて割安状態が続いていた。だが今回出発1か月前に日系航空会社を予約しようとすると、非常に高い。しかも某社はネットでは羽田往復の予約を受け付けず、片方が成田でなければチケットが買えないという前代未聞?の事態に遭遇する。ビジネスクラスを買え、とでもいうのだろうか。

 

仕方なくそれなりの料金を支払い、成田へ向かう。午前10時発の成田便に乗るには、始発に近い時間に家を出なければならない。そしてちょうどよい電車がないので、珍しく馬喰町からJRに乗ってみる。同じ成田に行くのに、スカイアクセスより時間が掛かる上、料金も高いのだから、乗る人は多くない。外国人が大きな荷物を持って、まごまごしながら、階段を下りてくる。エレベーターすらないのだろうか。

 

以前は日系航空会社に乗るのはある種のステイタスだったかもしれないが、最近はサービスの質の低下を感じることが多い。台湾に行くならエバ航空の方が余程気が利いているし、食事も美味しいと思う。日系がいいのは映画が充実していることぐらい、と知り合いが言っていた。今日は『日々是好日』という樹木希林の遺作であり、茶道が題材の映画をゆっくりと見る。

 

そうしているとなんとデザートにハーゲンダッツアイスが配られ始めた。この寒い季節にアイス?正直信じられない思いだった。私は意地汚いのでもらって食べたが、ちょっとお腹に堪えた。何人もの人、特に香港人、中国人は拒否していた。南国に行くわけでもないのになぜ、こんなものを出すのだろうか?ハーゲンダッツの時代は本当に終わったのだろうか。

 

香港初日は波乱含み
空港では今回、手荷物しかないので、あっという間に外へ出た。これは早くて助かる。香港用のシムカードを買いに中国移動のブースへ向かう。実はこの後すぐに、中国へ行くので、ついでに中国用を買うためだった。ところが私のスマホには中国移動の香港用シムスら適応しなかった。

 

何故だと聞くと、『時々そういうお客さんがいる。こちらでは対応しないので香港の会社へ行ってくれ』と追い出されてしまった。仕方なく香港キャリアに行き、香港シムを買い、合わせて中国シムもこちらで買ったが、何と8日間で238香港ドル、私は2週間の予定なので、2つ買わなければならなかった。すると店員が2つ目は半額だからお得だよ、という。何とも割り切れない思い。

 

空港エクスプレスに乗ればよいのに、いつもの癖で銅鑼湾まで空港バスに乗った。午後4時前ならそれほど混んでいないだろうと思っていたが、それは大きな間違いだった。香港島に入ると渋滞が続く。途中で降りてMTRに乗ればよかったのだが、まさかこんなに渋滞とは予想せず、最後まで乗っていたら、何と2時間近くかかってしまった。後で聞くと近くで大きな事故があり、一時道が封鎖されていたらしい。

 

夜の予定があったので余裕を持った日程を組んだのに、時間がギリギリになってしまう。エクセルシオールの宿泊は明日からなので、今日は近くの新しいホテルに投宿した。ただちょうどチェックインが混みあっており、時間がもったいないので荷物だけ預けて、すぐに外へ飛び出した。

 

中環で約束があったのだが、その前にどうしてもしなければいけない手続きが銀行であり、結局待ち合わせに遅れてしまう。だが、HSBCなどの銀行は午後5時には窓口を閉める中、外資系は対応してくれているので、文句は言えない。しかもかなり親切で有り難い。後日、全く同じ手続きをしにHSBCの支店に行ったら、『こんなものは自分でやれ』と若い行員にいわれ、『でも外資は対応してくれたよ』というと、『我々はHSBCだ』と言い放ち、文句あるかという態度だったので、よほど解約しようかと思った。

 

夜はKさんに誘われてFCCで食事した。30年前の香港の話から、最近のトピックスまで、色々と教えて頂き、為になる。FCCと言えばやはりカレーなので、毎度のことながらこれを注文し、美味しく頂く。本当に昔と比べれば混んでいる。特派員の人はもういないのだろうか。

 

帰りは銅鑼湾駅より近いと思い、隣の天后駅で降りる。ここは4年間住んだ場所であり、とても懐かしい気分で、周囲を少し散策した。ほとんど店が変わっているように見える。唯一セブンイレブンだけが昔のままのようだ。不動産屋の看板を見ると、昔でも結構高かったが、今では日本人が住める家賃ではなさそうだ、この街は。

香港つかの間茶旅2017(3)学生時代に戻った気分で

そのままセントラルへ行き、スターフェリーに乗った。まだ夕方で夕日がまぶしい。何だかんだ言っても、一度は必ず乗るのだ。観光客が大半を占める中、わずか10分にも満たない船旅は波に揺られて、心を揺らす。両岸の風景も時々変わっており、香港の現在を映し出す鏡のようで、その変化が楽しい。

 

今晩はフェリー乗り場のすぐ先のホテルで林さんと会うことになっていた。場所は問題なくわかっていると思い込んでいた私だが、ショッピングモールの中に入り込んでしまい、迷子になってしまう。一度迷うとこれは困る。そのホテルの名が表示されたり消えたり。最後は仕方なく人に聞いてみて、一度道へ出ないとホテルに入れないことがようやく分かった。

 

大汗をかいて遅刻した私を林さんは温かく迎えてくれる。今日は初めて奥さんにも会った。3人で立派な和食の店に座る。そして奥さんに好きなものを頼んでもらい、それを食した。いきなり寿司が出てきたり、うどんが出てきたりする。こういう経験は日本人ではできないので、何とも興味深く、そして美味しく頂いた。お酒を飲まないので食事は早くに終わり、別れた。ご馳走様でした。

 

帰りも又スターフェリーに乗る。今夜も夜景がきれいだ。なんとも贅沢な時間を過ごす。初めてこの光景を見たのは今から30年も前のこと。やはり香港にはこんな夜景が似合う。香港は如何に変化してもやはり香港だ、と思うと同時に、目に見えない大きな変革に晒された香港の将来にちょっと思いを馳せる。

 

8月21日(月)
広州へ

翌朝も早めに起きて、宿をチェックアウトして香港大学へ向かう。昨日のリベンジだ。平日の朝8時の地下鉄はさぞや混んでいるだろうと、荷物を宿に預けて、乗り込んだが、思いのほか混んではいなかった。今や香港島は通勤の主流ではないのかもしれない。やはりあっという間に到着する。

 

8時半には図書館に着いたが、ビジターは9時に受付で登録しないと、入ることは出来ないという。この30分はもどかしい。9時になり、登録にも手間取ったが、無事に館内に入り、時間が無いので、最初からデスクに検索相談に行く。丁寧に検索をしてくれたが、やはり資料はそう多くない。それでもいくつか見つけ出し、備え付けのPCでそれを見て、必要部分はコピーした。決済はオクトパスカード。日本の大学だと、こんなに便利だろうか。

 

用事を済ませると、すぐに宿に取って返し、荷物を引き取り、バス停へ。ホンハムへ行くにはトンネルを越えるバスが一番早い。向こう側へ着くと、今度はMTRに乗り換え、待ち合わせ場所の駅へ急ぐ。初めて降りたその駅でKさんが待っていてくれた。彼と会うのは何年ぶりだろうか。

 

駅近くのショッピングモールに入り、レストランを探す。結構人がいるのでビックリ。何とか席を確保して、料理を頼み、話し始める。実は彼とは31年前、上海留学が一緒で、大学も1年後輩という関係。最近彼が実家からその当時の写真を掘り出してきて、FBに上げたのだが、その中の1枚に私も写っていた。和平飯店の前で4人して写っているのだが、後の二人は誰だろう。一人は大学の先輩で、今は某大学の教授だという。ただもう一人の女性に心当たりがなかったのだが、これもFBの力。やはり後輩だと分かる。そんな昔話をするつもりだった。

 

ところが話が『私は今台湾の埔里に拠点がある』というと、彼が食いついてきた。埔里とはどういう意味か、タイのチョンブリのブリ、マレーシアのジョホールバルのバルと同じ意味では?などと畳みかけられ、更にはタイから中国広西、そして沖縄まで話が飛んでいく。彼は香港で言語学を教えており、まさにそんな研究をしているらしい。私はお茶の歴史を勉強しているのだが、よもやこんなところでお互いの学習がクロスするとは信じられない。

 

二人して夢中で話した。料理のことも覚えてはいない。隣のおばさんがやけに大きな声で話しており、煩いと言ってしまうほど、自分たちの話にワクワクしていた。こんな感覚は最近滅多にない。いや、まるで学生時代のノリなのである。お互いいい歳になったが、こんなふうに盛り上がれるとは、興味のある分野があるというのはよいことだと再確認した。

 

あっという間に3時間近くが経過していた。香港のレストランはランチがそのまま下午茶になるので追い出されないので、気が付かなかった。とても名残惜しかったが、Kさんと再会を約して別れた。そしてまたMTRに乗り、国境へ向かう。何十回も通過した羅湖。以前ほどの人の数ではない。国境を越えると、駅に向かい、切符を買う。ここから広州までは僅かな時間だ。急ぐ旅ではないが、早く着きたい!

香港つかの間茶旅2017(2)郭春秧を追って

銅鑼湾まで戻ってくると、実に様々な国籍、肌の色の人々が行き交っていて面白い。その中で何やら路上で展示が行われていた。よく見てみると、『釣魚台は中国領土』という幟が見える。展示は香港人の活動家が、尖閣諸島に上陸した時に写真のようだ。香港は日本びいき、などと思っていると、実は色んな人がいるので注意が必要だ。

 

夜まで部屋で休み、また出掛けて行く。今度は地下鉄で旺角だ。少し早く着いたので女人街でも見学しようかと歩いて行くと、道の両側に楽器やカラオケを並べて、歌ったり、演奏したりしている人たちがいた。以前はなかったように思うのだが、いつから、何のために始まったのだろうか。憂さ晴らしなのか。

 

今晩は香港研究家のK夫妻と食事することになっていた。そこにYさんとOさんも参加したので、まるで10数年前の香港滞在時を思い出すメンバーとなり、話は当然昔話が多くなる。今の香港、問題が多過ぎて、聞けばいくらでも出てくるだろう。本来なら現在の香港情勢について解説してもらう良い機会なのに、何となく昔の風情を残すレストランで、リーズナブルな値段で美味しいものを一杯食べて、楽しく過ごしてしまう。それでよいのだろうか、きっとよいのだ。

 

8月20日(日)
香港大学へ

今朝は香港大学へ行くことにしていた。今や地下鉄で行けるので、銅鑼湾から30分はかからない。何と便利になったのだろう。香港大学は数年前に大きく拡張されたが、駅はそのちょうど真ん中にあるようで、エレベーターを登っていくと、中間に出た。今日の午前中は、茶の歴史関係の調べ物で図書館に籠るつもりである。そのためにN先生に許可まで取ってもらっていた。時間がもったいないので午前9時の開館の時間に到着する。

 

ところが、何と日曜日は休館だったのである。その昔この大学にお世話になったことがあるが、確かに日曜日にここに来ることはなく、全く想定外の出来事だった。しばしボー然と立ち尽くした後、仕方なく、懐かしいキャンパスを歩いて見る。昔からある建物はやはり昔のままの風情を残しておりよい。

 

そこへ茶縁坊の高さんから『いつ来るんだ?』とメッセ―ジが入って来た。彼女もついにスマホを使いだしたのだ。当初は午後行くと伝えていたのだが、この状況が分かっているかのように『早く来い』と言ってくるのが、何ともおかしく、そして有り難い。すぐさま地下鉄で上環へ戻る。

 

高さんと再会し、お茶を飲み始める。息子もやってきて、いつものようにお茶の話から香港の話まで、しゃべり続ける。するとそこへいつもはいないご主人までがやって来た。彼は平日他の茶荘で、茶師としての仕事をしている。その彼が何と、私が安渓の張さんの家で大好きだった、炊き込みご飯をわざわざ作って持ってきてくれたのだ。彼はあの張さんの弟、昔からあのご飯を食べていたことがよくわかる。それにしても、何よりのご馳走だ。本当にありがたい。

 

春秧街
午後はまた地下鉄に乗り、北角へ向かう。今回の台湾茶調査の目的、それは南洋の4大砂糖王の一人、郭春秧について調べることであり、彼の名前がついている道、春秧街にも行ってみることとした。その昔、1-2度は行った場所である。何しろそこはトラムの終点の一つだから、馴染みがある。

 

その道を相変わらずトラムは走っていた。あまり広くないその道の両側には乾物屋などの商店が並び、更には服などを売る露店がせり出しているから、トラムはそこを抜けていくことになる。歩いている人の中にヒジャブを被っているインドネシア系と思われる女性が多くいた。

 

郭春秧がここで開発を行ったのは1920年代からであり、最終的に住宅を作ったらしい。そして第二次大戦後は福建からの大量の移民がここになだれ込み、一時は『小福建』とも呼ばれるほどだった。更には最近ではインドネシア系出稼ぎ者が住む街としても知られており、郭春秧が福建出身のインドネシア華僑だったことを考えると、とても偶然とは思われない繋がりがある。だが現在それを示すものは道路標示以外何も見当たらない。勿論茶荘などもなく、香港で包種茶が商われていた形跡も発見できない。

 

謎は深まっており、このモヤモヤを何とか解決したい。その思いでバスに乗り、中央図書館を目指した。ここはビクトリアパークの横にあり、私が10数年前に住んでいたところにほど近い。日曜日の今日、やはりインドネシア人が楽しそうに公園を占拠していた。昔よりもその数は増しているだろうか。

 

図書館には以前何度か来たことがあるが、オープンで立派なところである。勿論日曜日の午後、人は多い。そこをかき分けて人名で検索を掛け、参考になりそうなものを探した。だが驚いたことに、春秧街という道の名は香港人なら誰でも知っているのに、肝心の郭春秧に関しては殆ど知られていないことが分かった。

 

何故だろうか。如何にも研究対象になりそうな人物だと思うのだが。資料として出て来たものは、大体どれも同じ内容のコピペであり、また道についての動画だったりするだけ。郭春秧という人物について研究されたものは全くなかった。何だかとても残念な気分になり、図書館を後にした。

香港つかの間茶旅2017(1)香港国際茶展へ

《香港つかの間茶旅2017》

香港には長く住み、愛着もあったが、最近は近寄らなくなっていた。それが昨年あたりから日帰り程度で通い出し、今年3月には2年ぶりに滞在した。やはり香港はいい、と思うところもいくつもあり、また宿泊料金などが下がったことも寄与して、今回香港経由で広東へ向かうことになる。

 

8月19日(土)
香港の宿

朝8時50分羽田発香港行きの便に乗る。もう気分は完全にサラリーマン時代の出張だ。機内食を食べてから寝ているうちに、着いてしまう。ボーっとした状態で空港に降り立つ。実はパスポートを更新してから初めての香港。古いパスポートに貼られていたe-道のステッカーをもらうため、専用デスクへ。何の審査もなく、3分でゲット。これがあれば、陸路で中国へ行く場合も長い行列に並ぶ必要がなく、有り難い。

 

外へ出る。いつもはここでスマホのシムカードを買うのだが、今回は奥さんが買っておいたシムを使ってみる。だが差し込んでも機能しないので、仕方なく中国系メーカーのブースを探して持ち込む。やはり私のスマホ内の日本シム設定が邪魔をしていたらしく、それを削除すると、すぐに使えた。これもまた有り難い。

 

バスで銅鑼湾へ向かう。ここまでランディングから35分。この辺のスピード感は香港が一番であり、それは私がかつて慣れ親しんできたものであり、なんとも好ましく、テンションが上がる。今日の天気は最高であり、橋を渡る時の景色も素晴らしく、気分も上々となる。バスも40分で目的地に到着。

 

前回予約して意外とよかったゲストハウス、今回は違うところを試してみることにした。料金はさほど変わらず、住所もほとんど同じだ。だがその住所に行ってもゲストハウスの表示はない。住民に聞く訳にも行かず、仕方なく前回宿泊した時の受付に行き、聞いてみることにした。

 

すると驚いたことに受付はここだという。結局同じ系列で名前だけ別にしていたのだ。前回は宿泊する部屋は別棟だったが、今回はここの上で荷物の運搬が助かる。だが部屋には机がなく、ちょっと難儀する。同じような部屋を予約しても、形状はみな違うようだ。この民泊のようなゲストハウス、立地もよく、料金も手ごろなので常に混んでいる。

 

茶博へ

実は香港に行くことを決めたものの、特にやることはなかった。すると図ったようにFB上でのお誘いがある。ちょうど香港国際茶展というイベントが行われているというのだ。会場も近いので早々行ってみることにした。地下鉄だと降りてからが遠いので、バスで向かうが、今日が土曜日だということを忘れており、狙っていたバスは来なかった。仕方なく近くまで行き歩く。天気はいいが、その分当然ながら暑い。

 

会場近く、地下鉄駅から続く陸橋に上がってみて驚いた。すごい行列なのだ。香港の茶博がそんなに人気があるとは夢にも思わなかった。暑い中、クーラーもない中、大勢の人が並んでいる。若いカップルや家族連れが多い。土曜日の午後だからだろうか。しかしよくよく見てみると『香港美食展』という表示が目に入る。

 

どうやらこれを同時に開催されているらしい。帰っていく人を見ると戦利品として日本食品などを大量購入している人々がいる。やはりなんと言っても美食の街、香港。食べ物に対する要求、欲求は高く、そのエネルギーが人々を美食展に向かわせている。何とか茶博だけに入る道を探るも全く隙間はなく、延々並んで待つしかない。

 

ようやく屋内に入った頃にはもう疲れ果てていた。それでもここまで来て帰ることは出来ない。美食展を横目に5階まで上がると、そこにはそれほどの人はいなかった。これが茶の置かれている現実だ。会場内もそれほど人はいない。ただ何となく人だかりがあったので寄ってみると、そこは日本ブースだった。和服を見た女性がお茶の点て方を教えていた。香港の人も中国の人も興味津々でお茶を習って、自ら点てていたのは微笑ましい。

 

ここで和服を着た、オスカルさんにも出会った。彼は日本茶好きの外国人として、日本でも知名度が上がっており、外国人が外国人に日本茶の良さを知らせるという仕事で、ここに来ているという。出来れば抹茶や茶道ではなく、煎茶の普及を図って欲しいが、どうだろうか。

 

その横へ行くと、静岡などの産地から茶商が来て日本茶を売りこんでいる。そのうちの一つに聞けば、既に香港そごうに出店し、煎茶を販売しているというから、ちょっと驚いた。基本的に中国系の人は日本の煎茶をあまり好まない傾向にあり、日本に比べてその単価も高い煎茶が売れるとは意外だった。煎茶にチャンスはあるのだろうか。

 

最後に九州のブースで辻利さんを見つけた。彼は現在世界各地に喫茶の店を大展開しており、ここ香港にも最近出店している。茶葉はなかなか売れないといい、ドリンクやパフェなど、消費者の嗜好に合った形で提供することを考えている。中国の抹茶生産の勢いなど、貴重な情報も得ることができた。隣ではハラール認証をとったお茶を売る店も出ている。日本茶に変化の兆しはあるだろうか。

 

中国茶は香港という土地柄か黒茶系の店が多く出店していたが、すでに飽和状態なのか、それほど人を集めておらず、帰り支度する姿もあった。一時は茶葉取引の中心的な役割を持っていた香港も、近年の中国パワーに押され、参加者も伸び悩んでいるとの話もあり、その位置づけはちょっと微妙のようだ。

偶には香港を旅する2017(4)中国通がいない香港の日本人

3月13日(月)
懐かしい人々に会う

 

今朝もゆっくり起き、そのままそごうへ。ここでLさんと待ち合わせしていた。Lさんとは1月に台北で会ったばかりだったが、やはり何となく香港に来たら会いたいなと思い、何とか時間を合わせてもらった。まだそごうもカフェも開いていない時間、我々は近くの屋台のような朝ご飯を食べる所に入り、港式ミルクティを啜りながら話をした。これが香港らしくて良い。

 

Lさんの中国昔話は、時として非常に参考になる。そして現在のビジネスの話や、各地のネットワークから出てくる人々の活動など、話題は全く尽きない。お互いが自分のネタを出し合っていると、1時間半など、まさにあっという間に過ぎてしまう。名残惜しいがMTRで移動した。

 

向かったのはフォートレスヒル!これもまた懐かしいところだ。25年も前に香港で一緒にビジネスしたIさんのオフィスを訪ねる。香港の家賃高騰で数年前に金鐘から移ってきたというが、それでも立派だ。香港だけでなく、中国、台湾、そして日本も視野に入れたビジネス展開をしている。

 

ランチをご馳走になる。近くのビル内のレストランは、サラリーマンたちで超満員。香港は景気が悪いという話もあるが、こういう光景を見ていると決して景気が悪いとは思われない。ただ夜も同じようにお客が入っているとも思えず、賃料の高騰もあり、経営は楽ではないのかもしれない。

 

Iさんは『今日は実に楽しかった。中国のディープな話をしたのは久しぶりだ。昔は中国通と言われた、中国の内情に詳しい人が香港にゴロゴロいたが、今では中国のことなど全く分からない人々が香港に来て仕事をしている。これでは日本企業の前途は暗いと言わざるを得ない』とコメントしていた。香港にいて中国が分からない、中国を避けてきた人々は昔から多くいたが、それでもここまで酷いとなると、大変なことだ。そして何かと言えば『中国はとんでもない』を繰り返されては道を誤るだろう。

 

食後、一度宿に戻り休息した。そして午後4時頃にセントラルへ向かう。北京の時に一緒だったYさんとスタバで会う。スタバではあるが、ティバナというお茶カフェも併設されている。ほぼコーヒー並の料金で紅茶が楽しめる。一部日本のほうじ茶なども入っているが、日本から来ているかどうかはわからない。ちょっとおしゃれな店内だ。

 

Yさんは北京の後、香港にやってきて6年になるという。勿論会社も変わり、今は日系企業の現地採用で働いている。『年齢もある程度になり、技術も伴っていれば、駐在員より給与もよく、つまらない仕事はしなくてよいので、現地採用の方が余程マシだ』という。確かに日本の会社は仕事の分担がはっきりとしていない。契約により必要な仕事だけをしていればよい、という身分は理想的かもしれない。ただ職位が安泰とは言えないが。

 

次の約束に少し時間があったので、昔よく行ったセントラルの教会に行く。ここは駐在時代に心を休める場として、クリスチャンでもないのに、時々利用していた。こんな大都会の、オフィス街のすぐ上に、こんなに静かな場所があること、それ自体が素晴らしい。ただ教会の椅子に座っているだけで、心が落ち着き、怒りやざわめきが収まる。こういう場所を日本ではなかなか見つけることはできない。宗教には無縁ではあるが、それはやはり必要なのかな、と思ってしまう。

 

その後ちょうどトラムがやってきたので、上環の先まで乗ってみた。この乗り物、決して早くもないし、便利とも言い難いが、なぜか時々乗りたくなってしまう。便利ではないが、道を歩いていると目の前にやってくるから乗りやすい。2.3ドル、昔と変わらない。乗客も多くはないので座ってゆっくり市内見物。周囲はあまり変わっていないようだ。

 

セントラルの古い懐かしいビルに向かった。前回の香港駐在で一緒だったTさんと待ち合わせた。彼は2回目の赴任で、偉くなっており、車で山沿いの四川料理屋に招待された。香港現法の仕事は今やどこの会社も香港限定か、せいぜい広東省までのエリア。中国ビジネスの主流は上海や北京になってしまった。往時の香港の賑わいはかなり薄れたという。

 

四川料理は大変美味しかった。昔香港人は辛い物が食べられず、日本同様四川料理も辛くはなかったが、今や本場の味に近い物を食べている。いや、実際に食べているのは大陸から来た人々かもしれない。ウエートレスは英語も普通話も片言以上話す。年配のウエートレスが片言の日本語も話すのは、昔の名残か。

 

3月14日(火)
台中へ

今日はいよいよ香港を離れる日。早めに起きて、朝食を探す。トーストとミルクティとなる。店はそれほど混んでいない。皆テイクアウトしてオフィスで食べるのだろうか。宿のチェックアウトは少し面倒。荷物を持って部屋を出て、一度ビルも出て、先日のフロントまでまた荷物を持って上がり、鍵を返す。

 

銅鑼湾より空港バスに乗り、1時間で到着した。今回初めて香港エクスプレスというLCCに乗り、台中へ向かうことになっている。チェックインは順調だったが、気が付くと搭乗ゲートが突然変更になっており、ちょっと焦る。何だかいつもと違うゲート、バスに乗り飛行機へ。今回の香港の旅も慌ただしく終了。これが香港らしくて良い。

偶には香港を旅する2017(3)香港も安くなってきた?!

格安な宿

フェリーを降りるとすぐにホテルに戻り、荷物を取り出して、今日から泊まるホテルに急ぐ。そこは全く初めてだったのでちょっと不安。ホテルからほど近いその場所を、住所通りに訪ねてみると、ブランドショップが入るビルの3階に受付があった。何となくゲストハウス風だ。フロントの女性は英語も普通話をでき、お客は欧米人も中国人もいた。部屋はこのビルにはなく、すぐ横のビルに行き直す。6階の一角を使用している。因みにここの経営でこの付近、数百室の部屋を抑えているらしい。意外と資本を掛けている。

 

完全な民泊形式だが、何しろ銅鑼湾の駅からもすぐで極めて便利。しかも料金は1泊400ドル以下だったから、それは人気もあるわ、と思う。部屋は勿論狭いが、窓もあり、狭いがバストイレ付きだ。Wi-Fiなども支障なく、不自由はない。香港のホテル代は高過ぎると決めてつけていたが、これなら何とか泊まれるので、次回からはもう少し泊まる機会を増やそうと思う。

 

今晩は昨日会えなかった、昔の知り合いHさんが、広東省から帰ってきたので会うことになった。場所は日本人クラブ。昨日も行ったのだが、移転してからレストランへ行くのは初めてだった。きれいなカウンターに座り、Hさんの知り合いの大将と話しながら、美味しい物を沢山頂いた。日本人クラブって、こんなだったっけ?と思うほど。ただカウンターに座るのは香港人ばかりで、自分を含めて日本の経済力の無さを嘆かざるを得ない。

 

3月12日(日)
先輩に会いに

今朝はゆっくり起きて、朝食も食べずに、バスに乗った。銅鑼湾からホンハムへ行くバスには乗りなれている。トンネルを潜れば一つ目のバス停なのだから簡単だ。だが最近はバス路線が増えたり、バス停の位置がいくつかに分かれたりして、分り難くなっていた。何とかホンハム駅に着くと、まだ待ち合わせ時間には早かったので、散歩に出た。

 

香港島側や尖沙咀のプロムナードからハーバーを眺めることは偶にあるが、ホンハムから眺めるのは初めてかもしれない。駅の方から階段を降りて行くと、立派なホテルなどがあり、更に行くと高級マンションが見える。この辺、今一体いくらするんだろうか。非常に環境の良い、静かな高級感が漂う。3月らしく、香港サイドには靄が立ち込め、よく見えない。

 

駅付近に戻り、待ち合わせのホテルでAさんと会った。もう20年も前にここ香港で同じ支店にいた、お世話になった方だ。今は別の会社に移り、出張で来ていた。私が香港へ来る直前に連絡があり、劇的な再会となる。ホテルで食事をご馳走になりながら、様々な話をした。もう会社勤めはできない私だが、相手をしてくれる先輩がいることはとても嬉しい。

 

Aさんは午後のフライトで台北へ行くというので、そのままチェックアウトして去っていった。何とも格好がよい。因みにこのホテル、立地も抜群でそれなりの会社が運営しているのに、それほど高い訳ではない。やはり香港のホテル代は依然と比べ、確実に下がってきていると言えるだろう。

 

私はフラフラとまたバスに乗り、銅鑼湾へ戻った。日曜日の銅鑼湾は人の波で溢れんばかり。ホンハムの静けさが懐かしくなるほどだ。馴染んだ場所でワンタンメンと温野菜を食べる。今やそれが似合っていると自分でも思える。ついでに港式ミルクティも飲んでみる。少しの苦みが悪くない。

 

新しいカフェ
宿に戻り、休息した。特に暑い訳ではないが、今や休息がないと一日中の活動は難しい。夕方の約束までベッドで寝ていた。4時前に外へ出たが、相変わらず人が多い。ちょうど選挙があるようで、選挙活動をしていて人が集まっている。だが歩いている人の多くは外国人であり、インドネシア系の女性が目立っている。

 

今日は大学の同級生S氏と同窓生の香港人Jさんと3人で会った。何となくこの組み合わせがよいということになり、過去何度が3人で会っている。S氏は大学で研究するための調査もあるが、家族が香港にいるので定期的に戻ってきている。通訳業のJさんは日本企業の動きなどについても詳しい。この二人から教わることも多い。

 

場所は銅鑼湾の山側、少し奥。最近はこの辺がおしゃれなスポットだと言われる。確かに気の利いた店が数軒ある。カフェに入る。本格的なコーヒーを出す店だ。その昔香港には喫茶店などなく、コーヒーが飲める場所は相当に限られていたが、スタバの登場以来、コーヒーチェーンで溢れかえり、ついにはそれに飽き足らない世代が、新しい形を示してきているようだった。話が長くなったのでクッキーも食べてみるが、これがまた意外と美味しい。カフェだけでなく、ティーの世界も変化しているだろうか。

 

夕飯は一人で食べた。食べ過ぎは良くないと思いながら、鴨肉飯を頬張る。香港に遊びに来た大陸客が一人か二人で簡単に食べるような店だったが、意外と美味しい。香港と言えば、昔はその辺の何気ない店がうまい、と言われてきたが、今やチェーン店ばかりで面白くないので、小さい店には頑張って欲しい。

偶には香港を旅する2017(2)長洲島でお爺さんに再会

地下鉄に乗り、金鐘へ向かう。昔の知り合いヘレンに連絡を取ると、ちょうど彼女が所属する財団でパーティーがあるから来ないかと誘われた。折角なので出向いてみると、大都会の喧騒とは別世界の場所がそこにあった。非常に驚く。久しぶりに香港社会の一面に触れた。

 

しかしヘレンは見当たらず、待っても来ないので、勝手に見学を始める。今日のパーティーは展示会のオープン記念。創作的な芸術の世界を歩いていると、向こうにヘレンが見える。周囲には数人の日本人がいた。香港人やイギリス人もいる。無国籍状態で会話が弾む。これはヘレンのなせる業だ。お茶の関係者を紹介してもらったのは有り難い。

 

夜は尖沙咀へ移動して、その昔香港で一緒に過ごした人たちと会食する。もう20年以上前の知り合いだが、彼らは未だに香港にいる。脱サラして起業に成功した、また現地採用として、長らく職を得ている、など、私は見れば、好きな香港に居られて、良い環境で生きているように見えるのだが、最近の激しい変化には、かなり厳しい面もあるようだった。

 

3月11日(土)
長洲島へ

今朝はゆっくりと起き、ゆっくりと朝食を食べた。土曜日ということか、朝食を食べている人々にもゆとりがある。香港は衰えたとはいえ、スピードが命の場所。1日半で結構疲れている自分を発見した。このホテルとは今日でおさらばということで、荷物をフロントに預けてチェックアウト。

 

MTRに乗ってセントラルへ向かう。そこからスターフェリー乗り場方面へ。観覧車が寂しそうに回っている。何となく活気のない香港。それはどこから来ているのだろうか、気のせいだろうか。今日は久しぶりに長洲島へ行くことになっている。あの5年前の衝撃的な訪問以降、ずっと温めてきた題材に一つのケリをつけに行くということだろうか。

 

Yさんが同行してくれるのは有り難かった。何しろお爺さんは広東語しか話さないので、通訳は必須だった。フェリーの料金は何となく少し値上がりしているようだ。まあ、5年前との比較をしても意味がないほど、香港の物価は上がっているのだ。土曜日ということもあり、乗客は多い。

 

長洲島に着くと、やはり多少はオシャレになっている。取り敢えずお爺さんは元気かどうか確かめに、ベビー服屋へ。この辺にも2週間ほど滞在したことがあるので妙に懐かしい。服屋に変化はなく、おばさんもそこにいて、顔を見るとすぐに思い出してくれた。そして『お爺さんは元気だが、少しボケて来たよ』と言いながら、午後ここで再会する段取りをしてくれた。何とも有り難い。

 

そこでまずは腹ごしらえと、港の方に戻る。海鮮が名物だが2人だと多いかなと歩いていると、その昔ここで体調が悪かった時に食べたお粥屋が見えた。どうしても食べたくなり、そこへ入る。1938年創業などと書いているがどうなんだろうか。粥は相変わらずに美味しい。我々が注文すると、もう店仕舞いだ。昼までしかやらない。安くてうまい、これが一番。

 

再び服屋に行ってみると、お爺さんは既に来ており、満面の笑顔で迎えてくれた。既に90歳になっているが、足が少し悪いだけで元気そうだ。彼がプーアルの熟茶製法を初期段階で考案したと5年前に聞いていた。その後中国でもその話が広まり、今では有名人になっている。早々に、プーアル茶に歴史について、色々と確認させてもらった。広東プーアルの元祖との関係などもよく分かった。やはり一部、記憶がはっきりしないところがあり、娘であるおばさんが聞き返したり、補足してくれたりしたが、いずれにしても貴重な、生の話には価値がある。

 

ただこういうインタビューというのは実に難しいものだ。お爺さんは生き証人だから、彼が言った言葉は事実になっていく。しかし時には記憶違いもあるだろうし、また元々の思い違いさえもあるかもしれない。これをどう生かして、真実に近づけるのか、また一体何が真実なのかを理解するのは至難の業だ。私はノンフィクション作家には絶対になれないな、と以前から思っている。

 

1時間半ほどお話を聞いて、記念写真を撮って、退散した。お爺さんは初めて会った時と全く同じな笑顔であった。今度はいつ会えるだろうか。それから島の中を少し散歩した。桜の花が咲いているか見に行ったり、Yさんの知り合いに教えてもらった開放日の学校に闖入したりもした。ふらふら歩いているとすぐに時間が経ってしまう。本当は他にも行くところがあったのだが、次の予定が決まり、急きょ島を離れたのは、ちょっと残念だった。

 

偶には香港を旅する2017(1)2年ぶりの香港泊

《偶には香港を旅する2017》

 

香港にはかつて通算10年も住んだのだが、最近は足が遠のいている。理由は至極簡単で、宿泊などの料金が高過ぎる、美味しいものが減ったような気がする、など。ただ流石に2年も香港に泊まっていないのはどうかとも思い、ある用事のオファーを受けて、行ってみることになった。尚昨年は10月、11月と2度、香港を経由して日本へ行っているが、いずれも宿泊していない。

 

3月9日(木)
ホテルまで

 

今回は久しぶりに羽田からANAの午前便に乗る。何とも出張の雰囲気が漂う。昔はいつもこんな出張をしていたのに、今や随分と心境が変わったものだ。出てきた機内食も美味しく感じられるのはなぜだろうか。でももうあの世界には戻りたくない、いや戻ることはできない。

 

香港空港には少し早めに着き、自動入国で簡単に手続きは済む。携帯のシムカードがないので、空港内で探す。中国人ばかりが並んでいたが、彼らはローミングの手続きだろうか。私は一番安い118ドルのシムを買う。7日間使えるようだが、私の滞在は6日間だからこれで問題ない。昨年の香港経由の旅では、このシムがなかったために、連絡などが出来ずに大変困ったものだ。

 

 

今回のホテルは銅鑼湾なので、空港バスで向かう。香港島行きのバスは相変わらず2種類あり、早い方だと40ドル、遅い方だと21ドル。香港とは本当にタイムイズマネーの場所である。ちょうどやって来た早い方のバスに乗る。前には韓国人の女性が楽しそうに乗っている。2階建ての上にはアラブ系の家族が乗り込んでいく。国際色も豊かだ。

 

1時間もかからずに銅鑼湾に到着した。今日と明日はちょっといいホテルに宿泊できる。このホテルは、ハーバーに面しており、20年前最初の香港駐在を終えて、去る時に泊まった思い出のホテルだった。勿論その時とはずいぶんと変わっている。部屋に携帯電話が備えてあり、自由に使うことができた。これならシムを買う必要はない。いいサービスだと思う。ただ最近取り壊しが決まったらしいので、今回の宿泊が最後となりそうだ。

 

チェーン茶餐庁
何となく外へ出る。そごうの裏あたりをフラフラすると、何と翠華という名前のレストランの看板が5分歩いて3軒も目に入る。これはいくらチェーン店でも異常と言わざるを得ない。と同時に、ちょっと入って偵察を試みる。その店は午後3時なのに、満員で一番端の席を辛うじて確保した。

 

後で聞くと、香港の茶餐庁では、下午茶という時間が安いのでこの時間は混んでいたらしい。私は何も考えずに、海南チキンライスをオーダーしてしまう。夕飯の会食があるにもかかわらず、やはりどうしても食べたくなってしまうのだ。まあ飛行機の機内食が軽かったから、と言い訳してすぐに平らげた。料金は決して安くはない。それでも流行るこの店は何だろうか。家賃が高騰して、資本力がないと店が出せないとは聞いているが、なぜこれほど人が集まるのか。

 

帰りがけにふと見ると、港式ミルクティの表記が目に入る。茶餐庁にはよくあるメニューだが、それがペットボトルに詰められ、冷蔵庫に入って冷やされている。何気なく、一本手に取り会計したら、何と28ドルもした。もう香港ではうかつに飲み物も買えないと改めて自覚した。

 

それから某銀行へ行く。昔住んでいた時からずっと口座があるのだが、先日インドへ行ってATMを利用しようとして使えなかったので、その確認にきたのだ。ATMで香港ドルを下ろしてみたが、やはりダメだった。窓口で聞くと『暗証番号でも忘れたのでは?』と言われたが、それはないと言い切った。最初は処理を渋っていたが、香港居住者ではないので、すぐに修正して欲しいと訴えると、何とか対応してくれた。これが中国などだと、梃子でも動かない。やはり香港にはまだ柔軟性がある。

 

夕方、以前何度が会ったKさんと久しぶりに落ち合った。もう数年会っていなかったのに、そして夕方の中途半端な時間なのに、快く面談に応じてくれた。彼とは旅好きという共通点があり、その辺で話がかなり合っていた。ホテルのカフェで話し始めると止まらなくなり、予定をオーバーしても話題が尽きなかった。こういう何気ない会話がいい。夜は打ち合わせで海鮮をご馳走になる。

 

3月10日(金)
翌朝は早めに起きて、朝食へ。久しぶりにホテルの立派な朝食をゆっくり味わう。毎日だと多過ぎるが、偶にだとあれこれと手が出てしまい、かなりの量を食べることになる。その後は部屋で日記などを書いて過ごす。このホテルは日本人用にと、煎茶のティバッグや浴衣などが支給されている。日本の新聞も入っており、1か月ぶりに新聞を読んでみたりもする。

 

それから今回メインの用事を済ませると、午後3時前になっていた。肩の荷が下りる。急いで上環の茶縁坊へ向かう。昨年の秋に安渓を訪ねた時は、連日の雨で秋茶がなかったのだが、その後禁を破って相当遅い時期に茶を作ったらしい。今回はそれを飲むために行ったのだが、むしろ他の茶が美味しいと思え、購入銘柄を変えた。