「香港」カテゴリーアーカイブ

広東客家茶旅2025(10)中環と深水埗

そういえば、長洲島にはもう一つ行き先がある。それは大判焼きと手巻き寿司のお店だ。ここのYさん夫妻には昔お世話になったが、ご主人は昨年亡くなったと聞かされたのでご挨拶に行こうと思ったが、ちょうど店舗が移転していて、開いていなかった。港沿いのいい場所に移っているので、ご商売はい上手くいっているのだろう。そんなことを考えながら、またフェリーに乗り、セントラルへ戻った。

埠頭からどうやって帰るのか。目の前にバス停があったので、そこに立っているとバスが来たので乗ってみた。このバスは湾仔へ行くのは間違いなかったが、何と埠頭横のバスターミナルで10分以上休憩すると運転手が言ったので、バスを降りて歩いてMTR駅を目指した。ビル内は涼しくて快適。この屋内外の激しい温度差が香港なのだ。金鐘駅から歩いて宿に帰る。

あまりに疲れたので、部屋で休息する。夕方6時に宿を出たところ、ちょうど目の前にバスが来たので乗り込む。今晩は中環と上環の間で食事をする予定だが、バスだとちょうどよい所に停まる。歩いていると懐かしい本屋や茶荘などに出会う。そして懐かしいレストランも目に入る。まあ10年も住んでいたのだから懐かしい場所はそれなりにある。

ご飯はOさんと食べた。昨年約束していたのだが、台風に直撃され、シグナル8発令で延期になっていた。今回は老舗レストランだったが、お客はほぼ中国人だった。ローストダックやポークなどが美味しい。でも皿が大きく、いくつも頼むことは出来なかったのは残念。広東料理といっても量が多い店もあるんだ。

帰りはトラムに乗ってみた。何となくいつも乗りたい乗り物だ。最近は半島側に泊まることも多く、なかなか乗る機会がなかったが、目の前を走って来ては乗らざるを得ない。観光客の中には日本人もいて日本語が聞こえてきたのは良い。今年は香港映画が当たって、久しぶりの香港ブームが来ているらしい。夜のトラムはやはりシックだ。

7月15日(火)香港から台北へ

ついに長旅最終日。今朝は暑いので会展駅まで歩いてMTRに乗り、金鐘で乗り換えて、深水埗の鴨寮街まで行く。中国シムなどの購入が目的だったが、時間が早過ぎて店はどこも閉まっていた。仕方ないと朝ご飯を探すと一軒店が開き、無事にシムを購入した。そして近くの茶餐庁に入り、茄濃湯とトースト、たまご、そしてミルクティーを頼む。何となく完璧な香港式朝食。特にふにゃふにゃのマカロニがたくさん入った茄濃湯は美味い。

急いで宿まで帰り、チェックアウトして湾仔の三六九飯店へ急ぐ。香港最後の食事は旧知のFさんと。Fさんは香港駐在3回目らしく、わざわざこの店を予約してくれた。実は先日の夜、この店がまだあることを確認したが、満席で、かつ一人では入り難いなと思っていたところで、まさに渡りに船のお誘いだった。

11時半に落ち合うとお客はまばらだったが、12時にはほぼ満席の大盛況。老舗上海料理屋ではあるが、好物の揚げたイカ、葱油麺、そして雪菜スープなど色々な料理が並んでいた。Fさんと昔話をしていると、忘れていた思い出がどんどん蘇ってきて面白い。偶にこういう会話があると、少し脳が活性化するようで楽しい。

宿で荷物を取り出してMTRで中環駅へ行き、そこから荷物を引いて香港駅へ移動し、エアポートエクスプレスで空港へ向かった。いつもならバスで行くのだが、バスを待つ間も汗まみれになるだろうと思い、今回は奮発した。預け荷物が無いとチェックインカウンターへ行く必要もなく、出境も簡単なので時間を持て余す。行きの台風騒ぎとは違い、帰りは全てが順調で台北まで帰り着く。機内食はちょっと不思議な鶏肉飯だった。

広東客家茶旅2025(9)上環から長洲島へ

コンベンションセンター駅(会展駅)は本当にあった。そこから地上に上がり、センターの脇を通ると宿に到達した。香港は常に進化している。この宿は初めて来たが、狭いものの意外ときれい。ハーバーも少し見えて快適。以前は料金もかなり高かったろうが、今はそれほどでもない。ちょうどテレビで女子サッカーが始まったのでそれを見ていたら暗くなってしまった。

夜9時頃宿を出て夕飯を探す。湾仔でご飯を食べるなんて何十年ぶりだろうか。25年前、1か月ほど付近のホテルに滞在したことを思い出す。何となく昔からあるレストランも目に入る。夜9時でも結構賑わっているのは中国人観光客のお陰。今では普通話も普通に聞こえてくる。

一軒のレストランへ入ったが、広東語ではなく普通話で話している。これが香港の変化だろうか。ガチョウが有名の店だったが既に売り切れ。鶏と豚肉ご飯を頼み、凍檸茶で流し込むのは何とも良い。食べ物だけは昔の香港を想い出させてくれる。MTR湾仔駅付近は賑やかだが、宿のあたりは非常に静か。

7月14日(月)久々の長洲島

翌朝は目覚めて窓の外を見ると、もやったハーバーがある。これも香港らしい風景だ。外へ出てMTR湾仔ではなく、金鐘駅まで歩く。こちらも10分ちょっとと便利だが、朝からかなり暑い。明都酒楼という看板が見える。ここはワゴンで点心を出す店だったが、もうすぐ閉店と聞いている。上環まで乗っていき、懐かしい街を歩く。お茶屋はまだ開いていない時間だ。ちょっと朝ご飯でもと思ったが、昔よく行ったお粥屋は観光客に占拠され、おまけに暑くて食べる気にもならない。

少し上って懐かしのキャットストリートを歩く。骨董街で、25年ほど前通った界隈だ。老舗の茶餐庁があったので、何十年ぶりかで入ってみた。少しきれいにはなっているが、雰囲気はあまり変わらない。そして後継ぎと思われる男性が丁寧に英語で接客してくれたのは嬉しい。思わずキチンチョップまで注文して豪勢な朝食となる。代金はオクトパスで払える。こういう店は残って欲しいな。

そこからセントラルの埠頭へ。歩くとかなり距離があったが、懐かしい風景が広がり、どんどん進む。そして懐かしい長洲島行きフェリーに乗る。10年以上前、ラマ島、ランタオ島(ディスカバリーベイ)にも住み、この埠頭をいつも使っていた。長洲島は8年ぶりだろうか。

30分で島に着く。埠頭を出るまでは、目的地の方向に自信が無かったが、出たらすぐに分かった。やはり2週間でもここに住んでいたのは大きい。だが最後の位置は不確かだった。それでも何とか福華茶荘に辿り着く。ここは13年前、「長洲島でプーアル茶を作っていたお爺さんを探せ」という無茶ぶりにめげず、辿り着いた場所だった。

中に入ると女性が私の顔を見て「おー」と言って寄って来た。8年ぶりでも一目で思い出してくれたのは、本当に嬉しい。ご主人も含めて再会を喜んだ。店は元々ベビー服屋の中でお茶を売っている感じだったが、今回行ってみるとベビー服は無くなり、完全な茶荘になっていた。そして盧鑄勛氏の生前の写真が飾られていた。

盧鑄勛氏は戦後ここでプーアル熟茶を作り始め、その後アジア各地でも作った伝説の人物。私は3-4回会っているが、残念ながら5年前に亡くなった。一度お悔やみに来たかったのだが、コロナもあって今日になってしまった。お墓参りにも是非行きたかったが、お墓は山の上にあるとのこと、この暑いのにとても連れてはいけない、と言われ、後日涼しくなってから行くことになった。ちょっとお茶を買って失礼した。

帰る前にどうしても食べたい物があった。この暑いのに「粥」。港近くの食堂は屋根はあるが屋外で、扇風機は回っているが、暑さをしのぐには少し足りない。食べている人も僅かで、しかも多くが焼きそば。そんな中でもお粥を食べる。汗が噴き出しても、やっぱり旨い。凍檸茶をすすりながら、何とか完食する。達成感があるが、すぐにスーパーに潜り込んで涼を取る。

広東客家茶旅2025(2)初めての梅州

7月8日(火)いざ梅州へ

朝は早く起きて、外へ出た。Iさんと8時に早茶する約束でネーザンロードを歩いて行く。ちょうど行列が出来ていたので「飲茶は朝から行列か、さすが尖沙咀」などと考えていたら、8時ちょうどに列が動いた。ところが何とその列は無料の新聞を貰うために並んでいたと知り、ちょっとビックリ。

何とか広東レストランに辿り着き、Iさんと再会。何とここにはお客はほとんどおらず、またビックリ。好きな点心を注文して、ポーレーを飲み、実にゆったりと早茶を楽しむ。Iさんの健康状況などの話を聞くと、明日は我が身か、と思える内容。貰った新聞を広げる暇はなかった。

宿に戻り、チェックアウト。これは簡単でよかった。そのままMTRで一駅、オースティンへ行く。ここと西九龍駅は連結しているので、とても楽だ。西九龍駅はいつできたのかも分からず、初めて利用する。かなり大きなターミナル駅であり、しかも北京や上海など、中国全土にここから行くことが出来る。何と香港出境だけでなく、中国入境手続きもここで行うので、後は列車に乗るだけでよい。昔のホンハム‐広州より更に簡易だ。

ここでトミーと落ち合った。彼は回郷証などを持っており、更に入出境は簡単だと言い、出発ギリギリに現れた。車内はそれほど混んでおらず快適。最初はトンネルが多かったが、深圳からは見慣れた風景。そして僅か2時間半ほどで梅州西駅まで来てしまった。さすがに西九龍‐梅州西は1日1本しかないが、深圳経由は頻繁に列車があり、非常に便利だと分かる。

駅で車を呼び、トミーの従妹のところへ行った。お茶を売る店だった。そこで遅い昼ご飯を頂く。梅州の中心地、梅県では、昼過ぎは店が閉まってしまうというので、弁当を買っておいてくれたのだが、このご飯(魚飯)が実に美味かった。鶏肉なども新鮮で、かなりの量があったが、あっという間に食べてしまった。梅州の食事にかなりの期待を持つ。

そして梅州のお茶として出てきたのは、釜炒り緑茶だった。かなり濃い目で、日本的には食後の番茶を頂いているような感じがした。茶荘で売っているのはプーアル茶などが多いようだが、地元のお茶は炒緑だそうだ。台湾に渡って来た客家の人々に炒緑を飲む習慣はあるだろうか。

車を呼んで客家博物館へ行く。梅州は基本的に客家の街であり、台湾の桃園、新竹、苗栗あたりで茶作りをしている客家の故郷もこの辺が多いと聞いていた。博物館は古めかしい建物にあり、最近の中国の現代的、大型博物館とはちょっと違っていてよい。中の展示は、勿論客家の歴史が詰まっており、勉強になることが多い。梅州には元々瑶族や畲族が住んでいたとも書かれており、古代から融合が始まっているように思えた。ただ客家とは何者か、という基本的な問いに完全に答えてくれているようにも思えない。

一度従妹のところに戻って、また茶を飲んで過ごす。夜は古い街中にあるレストランで客家料理をご馳走になる。客家もスープは欠かせない。そしてこれが実に美味しく、広東料理、また潮州料理に通じるものがあるだろう。客家料理の定番を外してもらうと、見たことが無い物が並ぶが、いずれも味がしっかりしており(少し塩気が多い)、美味しく頂く。

夕食後、従妹のお兄さんが車で梅県を案内してくれた。川沿いを歩いていると風がとても気持ちが良い。この川沿いには新しいショッピングモールなどが建ち、上はマンションにもなっている。ただ梅県全体では、その発展スピードは他地域と比べてゆっくりであり、それゆえ、私などはどこかホッとしてしまう。この従兄弟はかなり海外に興味があるようで、色々と聞いてきて面白い。新市街地にあるホテルまで送ってもらう。梅県もかなり広域になっている。

広東客家茶旅2025(1)九龍城へ飛ぶ

《広東客家茶旅》  2025年7月7日‐15日

台北に滞在しているが、中抜けして香港へ出た。目的地は広東省梅州。もう6‐7年前から行きたくて仕方がなかった場所。コロナを経て今回ようやくたどり着いた客家の里。果たして客家はどんなお茶を作り、どんなお茶を飲んでいるのか。台北で難を逃れた台風がまさかのV字旋回で広東へ。

7月7日(月)香港 九龍城で

香港空港でもスムーズに入境した。まずはシムカードを手に入れる必要がある。前回(2年前)ここで失敗し、実名登録が出来ずに繋がらなかった苦い思い出があり、何とか二の舞を避けようと店を探してみたが、やはりセブンしかなかった。仕方なく入り、シムカードが欲しいというと、シムが渡され、「手続きが分からないなら向こうにいる担当がサポートする」と言い、その女性があっという間に登録を完了して、使えるようになった。やはりトラブルが多かったんだな、と分かる。98香港ドルで中国と香港で使えるというのは便利だ。

空港バスで尖沙咀に向かった。バスは快適に走り、天気はすごく良い(暑い)。約1時間でネーザンロードに着き、降りた。今日の宿はペニンシュラーの裏なのですぐに到着したのだが、何とチェックインに大行列が出来ていた。午後2時前から30分以上かかってようやく部屋まで辿り着く。部屋は古びているが、まあ仕方がない。立地が良いのでお客が押し寄せている感じだ。

すぐに外へ出た。近所の茶餐庁で噂の叉焼丼を食べようと思い探してみると、何と市場の跡地?にフードコートのような場所が出来ていて、色々好きなものを選んで食べられる。まあ立地上観光客向けだとも思うが、意外と地元民も食べている。私も慣れない広東語で叉焼飯と凍檸茶を注文し、頬張る。ちょっとは気分が出て良かったが、私がなぜ昔から叉焼飯を食べなかったのがよく分かった。米が合わないのだ。

そこから歴史博物館まで歩こうとしたが、あまりの暑さに途中でバテテしまった。ちょうど銀行の手続きが必要だったので、中へ入ると涼しい。だが非常に混んでおり、何と1時間も待つハメになってしまった。おまけにその手続きは元々不要だと分かり、本当に避暑のための滞在となってしまう。

気を取り直して博物館まで歩き、何とか中へ入る。ここは8年ぶり。残念ながら昔の面影はまるでなく、香港の歴史に関する展示はほぼ無くなっていた。代わりに展示されていたのは偉大なる中国史。何となく中国内の博物館と似ている感じとなっており、そそくさと退散した。香港の現状を垣間見た思いだ。

一度宿に戻り、疲れを癒す。しかしこの暑さは異常だろう。夕方MTRに乗って九龍城へ向かう。さすがに5時台になり少し暑さが和らいでいた。九龍城付近も少しずつ変化があり、店なども代わっていた。昔よく行った茶荘も場所が少し変わっており、老板もいなくて店員は追い出さんばかりの対応でちょっと残念だった。

時間が余ったので九龍城公園を歩いていると、今年大ヒットした映画のセットを再現した場所があり、係員が「今ならすぐに入れるから見て行って」と整理券をくれた。この映画、私も東京で見たのだが、最近目が弱くなっており、アクション物は見ていられなくて困った。だが日本人でこのセットを目当てにわざわざ香港まで来る人がいると聞いており、一応チラッと覗いてみた。午後7時までやっているのは素晴らしい。それから公園を散策していたら、やはり汗をかいてしまった。

夜7時半、楽口福というレストランへ行く。ここもあの映画のロケ地らしく、雰囲気は良い。今晩は先週台南でマンゴーを一緒に食べたメンバーと再会した。先週も潮州の話しで盛り上がっており、この場所が設定されたようだ。だが映画のヒットで日本語メニューなども出来ていたにもかかわらず、お客さんは多くなかった。この辺のギャップが良く分からない。1954年創業のこのお店。ちゃんと工夫茶が出てきて嬉しい。滷味も美味しく、魚も美味なのになぜお客がいないのか。台南に引き続き、楽しい夜を過ごす。

香港マカオ茶旅2024(5)シグナル8発出

少し風が強くなってきた。まだシグナル8には間がありそうだったので、なんとセントラルに戻り、スターフェリーに乗りに行く。だが乗り場すら忘れてしまっており、右往左往する。ボケとは恐ろしい。何とか辿り着くとそのままアッパーデッキに乗ってしまう。10年ぶりだろうか。景色がいつものより良く見える。ハーバーは波もなく快適な10分間だった。5ドルなら次回からアッパーか。

TSTを散歩して、さっきの宿へ戻り、チェックイン。なかなかいい部屋で外の景色が良く見える。テレビを点けっぱなしにして、これまでの旅のまとめをしていると、いよいよ台風ヤギが接近してきたので、近所のスーパーに買い出しに行く。といっても明日の午後には香港を離れる予定なので、カップ麺とビスケットだけ買う。更に夕飯をどうしようかと考えていたら、すぐ近所に弁当屋があり、そこで適当に弁当を買う。これは安上がりだった。

今晩会う予定だったOさんと連絡を取り、残念ながら取りやめとなる。まあシグルナ8には慣れており、昔と違ってネット繋がるので特に問題はない。時折強い風が窓をたたくが、それほど恐ろしいこともない。雨はそれほど降らなかったようで、夜中に一度窓をたたいた程度で済んだ。香港の被害は最小限に止まった。

9月6日(金)香港空港へ

朝起きてもシグナルは出続けており、会社も学校も今日は休みが確定した。12時過ぎにシグナル3になると言っているのは、相当の配慮だろう。昔なら株式市場や為替市場が大きな問題になっていたが、今はそんなこともないのだろう。小売業や飲食は大きな影響があったかもしれないが。私は午前中ゆっくりと過ごす。

10時過ぎて雨も降っていないので外へ出てみた。まだ8だから、ネーザンロードも車は殆ど走っていない。観光客が多少歩いているだけで、勿論店も全て閉まっている。バスも動いていないので、空港へはMTRしかないだろう。その空港も情報によると正常通り動いているらしい。

12時に宿をチェックアウトして、駅に向かおうとしたら、凄い雨が降ってきて立ち往生した。8が3になる前の最後の抵抗なのだろうか。少し雨に濡れたが何とか駅に辿り着くと、結構乗客がいた。これから30分か1時間すると、出勤の人々が出て来るのだろうが、今はまだ少ない。

本来なら香港駅まで行ってエアポートエクスプレスに乗るのが速いのだが、フライト時間に余裕があるので、電車を2本乗り継いで空港へゆっくり向かう。茘景、青衣、このルートで行くのは全く初めてだ。それにしても青衣から空港まで僅かな時間なのに65ドルも取るのはボッタくりとしか言いようがない。まあ電車が動いているだけ有り難いということだ。

1時間半ほどかけて空港に着いた。中国方面のフライトはいくつか欠航になっていたが、かなりのフライトは順調だった。だが残念ながらチェンマイ行は2時間ディレーしており、更に空港で待ち時間が増えた。朝からあまり食べていなかったので、まずは腹ごしらえ。懐かしいレストランがあったので入ってみたが、小龍包4つと麺を1つ頼んだだけで軽く2000円は越えてしまった。恐ろしくて味も分からない。

出境はすぐに出来てしまったので、後はひたすら待つのみ。空港内はドリンクすら高いので何もできず、ネットを見て過ごす。ゲートは一番端で、今まで来たことがない場所。人も少なく静かでよかった。香港のLCCに充てられた場所ということか。大阪行きには多くの人が乗って行く。雨は断続的に降っており、シグナルは3のままだ。

結局4時間ほど待ってついに搭乗となる。乗客は7割程度だろうか。台風でもみんな観光旅行へ行くんだな。約3時間乗って、何とかチェンマイ空港に辿り着く。正直ほっとして腹が減る。宿の横の店はもう閉まっているかと思ったら、時差が1時間あり、何とか炒飯にありついた。こっちは野菜炒めも入れて、500円だった。

香港マカオ茶旅2024(4)消えゆく香港

宿で荷物を取り、もう一度バスに揺られて、フェリー乗り場へ取って返す。たいした時間でないからよい。買ったチケットの時間より2本速いフェリーがあり、それに簡単に乗れるのが香港式だ。ただフェリー自体の到着が遅れ、ちょっと時間はロスしたが、何とも懐かしい船旅となる。フェリー自体は特に変わっていないが、私が乗った船は遅い方だと気が付いた。

1時間半近くかかってようやく上環のターミナルに着く。実にスピーディな入境対応で有難い。出口を出ると、すっかり景色が変わっており、MTRの駅への道が分からなくなっていた。MTRも昔はここが始発だったのだが、現在は大勢の人がやってくる電車を待つ駅になってしまった。

たった一駅乗ってセントラルで下車。ここで今回の用事を済ませる。香港も色々と面倒になっていると感じる。そういえば、台風が近づいていた。既にシグナル1が出ており、明日は8になるだろうと言われると、何となくウキウキしてしまうのは昔の習慣だろうか。何しろ8が出れば会社は休みだったから。

目の前にマンダリンオリエンタルホテルがあったので、思わず入ってしまった。30年前シグナル8直前に帰宅する際は、いつもここのフルーツパウンドケーキを買ったものだ。2階にベーカーリーはあったが、フルーツは既にバナナに変わっている。これを聞いた年輩の店員に『よくご存じね』と言われたのは、ちょっと嬉しかった。

取り敢えず用事は終えたので、TST側の予約した宿へ向かった。昔からあるホテルだが、料金が昨年と比べたら半額だろうか。これも中国経済低迷の恩恵?と言っていいのか。かなり広い部屋で、かつ窓からの景色もあるのは嬉しい。これなら偶には香港へも来られるだろうか。

少し休んでから、またMTRに乗る。今晩はYさんと待ち合わせ。場所は初めて行く(いや、その昔は行った?)彩虹。駅を出ると、昔懐かしい香港の下町風景が現れる。そんな通りを歩いて行くと、古めかしい建物が見えてくる。今晩ご飯を食べる老舗食堂だ。遠くに高層ビルが見える中、平然としているようにみえる。この地域は開発から取り残されているが、いよいよ数年内には立ち退き、再建が始めるらしい。

昔は大賑わいだったというこの店、今日はなんだか空いている。景気低迷の煽りだろうか。クリスピーチキン、イカのフリッター、上湯野菜がテーブルの上に乗る。何とも嬉しい夕飯だ。1つずつの皿が大きいので、2人ではこれ以上食べられないのが残念だった。Yさんと近況を話しながら、ゆっくりと食べていく。もうこの風景は見られないかも、と思うと何とも悲しい。

9月5日(木)シグナル8発出

朝起きてテレビを点けるとシグルナ3になっている。しかも夕方には8が出るだろうと言っている。これは急がないと全てが止まってしまう。まずは今の宿を出て近所に引っ越した。さすが香港、昨日は安かったこの宿、今日は料金が跳ね上がっていた。仕方なく新しくできた宿へ荷物を預ける。今晩はここに籠城することになるだろう。

朝ご飯を近所で探し、パッと入る。50ドル近くする立派な朝飯セット。まあボリュームもあるので満足せざるを得ない。宿の料金は乱高下するが、物価は急には下がらない。MTRでまた香港島へ渡り、昨日の続きの所要を済ませる。そしてそのままトラムに乗り、上環へ回る。

福建茶行、5年前にミャンマー華商の調査で突然訪れた茶行。すると何と中に知り合いが座っていてびっくりしたという思い出がある。その時に会ったオーナーの楊さんと再会したが、私のことは覚えていなかった。それでも1950₋60年代の香港茶市場の様子を色々と話くれたのは、何とも有難い。台湾白茶、プーアル熟茶、六堡茶など、貴重な証言を得る。

ついでに近所の堯陽茶行にも立ち寄る。番頭さんと挨拶して、オーナーの王さんに色々と聞いてみたが、王さんが茶業の携わったのは遅かったので、昔のことはあまり知らないという。もうこういう歴史調査も限界が来ていると感じる。特に香港のようにビジネス第一の世界では歴史を辿るのは難しい。

香港マカオ茶旅2024(3)マカオ散策

これでマカオでのミッションを果たしたので、ここからは自由だ。バスに乗って林則徐記念館を目指した。蓮峯廟というかなり古い寺があり、その敷地内にあった。マカオ返還直前に建てられたこの記念館、やはり中国の息がかかっている。マカオでもアヘン貿易はかなりあっただろうから、この辺の歴史が中心だ。

それから反対側の古廟を見て、坂をだらだら上っていく。モンハの丘、と呼ばれ、アヘン戦争当時砦があった場所だ。この上からはマカオが良く見えたが、今は何もない。この下で1844年にアメリカと望厦条約(中国がイギリスと南京条約を結んだことに習う)が締結された歴史的場所でもある。20年前にマカオ歴史散歩をやった時に歩いているはずだが、何も思い出せない。

そこからバスに乗り、タイパ島に向かった。10数年ぶりだろうか。バスをちょっと乗り間違えて、目的地から少し離れた場所で降りたら、そこには教会があり、結婚写真を撮るカップルなどがいる。こんな場所もあるのかと、初めて知るが、観光客も多い。その先に昔行ったポルトガルレストランがあったはずだが、どうしても見つからず、迷子になる。

この付近は観光客が多くて疲れる。取り敢えず適当にポルトガルレストランと書いてある店に入ったら、ちゃんと1席だけ空いていた。面倒なのでセットランチを頼んだが、残念ながらそれほど美味しいとは思われなかった。アラカルトで頼めばよかったのかもしれないが、それだと昼から大盤振る舞いになるので止めた。店員が私に広東語で話し掛け、英語で返すと首を傾げていた。

その辺をフラフラしたが、疲れてしまい、またバスに乗る。橋を渡るとリスボアが見えたので思わず降りてしまう。私が1987年に初めてマカオに来た時、ここのカジノで訳も分からず『大小』をやってちょっと勝ったいい思い出がある。中に入ってみると、その昔とは雰囲気ががらりと変わり、観光客が行き交う場所になっている。その数もずいぶん減っているように見えたがどうだろうか。

ナタを売る店は相変わらず客でごった返しており、お気に入りのホートン図書館へも行ってみたが、残念ながらエアコンもなく、暑くて退散した。宿で休んでから夕方出てみるとちょっと涼しくなっている。麺でも食べようかと歩いていると、潮州系の魚蛋麵があった。ただなんとカレーも付いているのは、マカオ風に仕立てたということだろうか。

9月4日(水)香港へ

今日は香港への移動日。朝ちょっとだけ媽祖廟に寄りたかったのだが、何と道路工事で大渋滞が発生していた。仕方なく、反対側のバスに乗り、フェリー乗り場を確認しに行く。1990年代から2005年まで、一体何度このフェリー乗り場にやってきたことだろう。だが今や橋も出来て、タイパ島も大いに発展しており、このフェリー乗り場は何となく寂しい。バスも何だか遠くに停まってしまい、10分も歩いて何とか到着。折角なのでチケットを購入しておく。

帰りのバスも渋滞だったが、なんとか宿近くまで戻ると、ちょうど如何にも前世紀の遺物という感じの餐庁が出現した。ちょっと迷ったが、思い切って入ってみる。そこにいる客はおじさんのみ。朝から酒を飲んでいるグループすらある。店主も広東語で応対する。何とも懐かしい風景だった。

細い麺の焼きそばと点心を2つほど頼み、後は茶を飲んで過ごす。この点心と茶の組合せは絶妙(昔から食べなれているから)で、今や香港ではあまり見られない風景がマカオに乗っていることに涙する。ただ料金だけが数倍に跳ね上がっており、また基本的にマカオパタカで計算するのが祖国復帰後のマカオだった。

香港マカオ茶旅2024(2)マカオ英記茶荘を再訪する

何とか見慣れた通りでバスを降りたが、目指すホテルが全く見付からない。多少土地勘はあるのだが、なんだかおかしい。道路工事の影響だろうか。適当に歩いていると、あるはずのない所にホテルが忽然と現れて救われる。フロントの女性は最初から普通話を使い、パスポートを見せると『あんた、英語も出来るの、凄いね』という。きっと中国からの出稼ぎだろうが、愛想がよくて楽しい。

部屋は思ったより新しくきれいでよい。コロナ前はマカオのホテルも高騰していたが、今は中国の不景気のせいか、随分安くなったと感じる。有難い。そこから早めの夕飯を、と思い、昔行ったマカオレストランを探すがやはり見つからない。フラフラ歩いていると、十月五初街に出た。昔見た廟があり、明日行く予定の茶荘も健在のようだ。

その先をずっと歩くと、カレー屋があった。マカオ返還直前に出来た店で、実は結構有名らしいが、それほど客はいなかった。ここでも最初から普通話で話し掛けられ、鶏撈麺と凍
檸 茶を注文する。何となくアフリカンチキンと広東麺という組合せが好きだ。久しぶりに凍檸茶も香港を思い出させる。ただ料金はこれで日本円1300円を越える。やはり物価は高い。

日暮れ前のセナド広場に行くとさすがに観光客が多い。中秋節、如何にもここは中国だ。銀行で香港ドルを引き出そうとしたが、銀聯カードを使ったが出て来ない。理由は不明だが、機械に身分証をかざすところなどもある。懐かしい鉅記に入ると、蛋餅が売っており、つい買いこんでしまう。店の女性が『あんた、なかなか通だね』と言われてちょっと嬉しい。

9月3日(火)老舗茶荘へ

朝飯を探して外へ出てみる。まずは香港ドルを確保する必要があり、宿の横にあった両替所で持っていた人民元を変えてみる。最近マカオの料金表示はマカオパタカが多い。それをまた香港ドルに少し修正するのは面倒くさい。それでもマカオは香港ではない、という主張だろうか。

坂を上っていくと、食堂があった。何となくフラッとは入ってしまう。観光客が多いマカオ中心部で、ここは地元民もかなり来ている店。白粥と書かれていたが、滷肉拌腸粉に惹かれた。これは肉みそが実に美味い。この食べ方は潮州だろうか。粥と茶を入れても、それほど高くないのがよい。

そこから歩いて十月五初街へ。昨日も来たが、よく見てみると、まだ古い茶楼が残っている。ここで1960年代に六堡茶が飲まれていた、との記述を先日見ていたので、ちょっと感慨深い。その先にはその茶を供給したであろう、英記茶荘が見える。まだあってよかった、と中へ入ると、9年前に会った夫妻がいた。私は前回香港長洲島のお爺さんに言われて、ここのお爺さんに会いに来たのだが、お爺さんは何と昨年末95歳で亡くなっていた。

息子夫妻が店を引き継ぎ(9年前にはもう引き継いでいただろう)、今も昔ながらの商売をしていた。創業は1932年、この付近で唯一残っている老舗茶荘だ。息子にいくつか質問してみたが、前回のお爺さん同様、あまり明確な答えは得られなかった。正直茶の歴史についてはあまり興味がない、というのが本音ではなかろうか。

ただ白茶は政和産を以前から扱っていること、プーアル熟茶は散茶状態で雲南から仕入れて、マカオでも常連さんは散茶を買っていくことなどは分かった。以前は日本人客も多く買いに来ていたが、今やほとんど来ないともいう。私は前回買ってとても良かったプーアル散茶と壽眉を購入した。あまりたくさん買うと持って帰れないので少ししか買えなかったのは残念だった。

香港マカオ茶旅2024(1)香港空港からマカオへ

《香港マカオ茶旅2024》  2024年9月2日‐9月6日

チェンマイへ来て1か月。ちょっと外へ出てみようと思い、用事のある香港行チケットを取った。するとマカオの茶荘の歴史が知りたくなり、引き寄せられるように香港空港からマカオへ直行する。懐かしいマカオフェリーで香港へ上陸するも、これまた懐かしいシグナル8に遭遇し?さて、どうなる。

9月2日(月)チェンマイからマカオへ

朝起きるとすぐに朝食を食べに行く。今日は香港へ行く日なのだが、なぜかカオマンガイを食べている。いつものようにBoltで車を呼び、空港へ向かった。香港エクスプレス、今回私は予約間違いを起こしてしまい、多大な損害を被った。その一端はこの航空会社にも責任あると思うのだが、やはりボケの進行は深刻だった。そして香港は油断できない場所だったと改めて思い返して、地団太を踏む。

チェックインはスムーズで、香港・マカオのシムカードもAISで購入した。本当は中国・マカオのシムカードは既に買ってあったのだが、マカオから香港へ移る際にまた変更するのが面倒だったのだ。これで中国シムは期限が過ぎてしまうので、無駄になってしまったが、今やそんな頭も回らないので、シンプルに動くしかない。

フライトは順調で、座席は非常口。ここは有料席なのか、誰も座って来ないので、3席を独り占めした。ただでさえ普通より広いのでかなり快適な空の旅となる。でももし万が一のことがあったら、非常口は私が開けなければならない。そう思うと、初めてまじめに説明書を読み始めた。LCCは食事も何も出ないので静かな2時間半が過ぎる。

時差が1時間あるので、到着したらもう2時半だった。慣れ親しんだ香港の空港だが、今回はここで入国せず、マカオと書かれた方向に進んでいく。香港入境直前のところに、マカオ行きのバスとフェリーチケット売場があり、ここでパスポートを出すと、何と無料チケットをくれる。これはマカオの観光キャンペーンで、もし普通に買えば5000円ぐらいするらしいから、何とも嬉しい。

指示された場所を降りていくと、シャトルがやってきてバスターミナルまで連れて行ってくれる。今回私は預け荷物が無いので、ターミナルに着くと、すぐにバスまで直行して乗ることが出来た。何ともスピーディな展開に、久しぶりの香港を感じて、これまた嬉しくなってしまう。

バスには数人しか乗っていない。まあ平日の午後だからこんなものか。香港マカオ大橋なるものが出来ても、一度も渡ったことがなかったので、これはちょうどよい機会だった。橋は長く、単調な走行が続く。車もあまり走っていない。まあ香港空港からそのままマカオへ行けるのだから、文句は言うまい。

約40分でマカオ側に辿り着く。イミグレに向かうと、向こうから出て来る人々が多い。昼間マカオでカジノにでも行って、香港に帰るのだろう。それに比べてマカオへ入国する人は少ない。なので、広い入境審査場も、パスポート保持者の列は1列だけだったが、すぐに通過した。

ここからどうやって市内へ行くのか分からなかったが、バスがあるようだ。ところが香港ドルの小銭が無いので、支払いが出来ない。コンビニに戻ってマカオパスなるものを購入したが、何と130ドルもする。デポが30ドルらしいが、これはどうやって返却されるのだろうか。説明などは当然何もない。

バスはリスボア方面へ行くらしいが、いきなり中国国境の横を通った。そうか、珠海にも行けるのだ。だが我々日本人はビザが無いと難しい。満員のバスはどこを走っているのかよく分からない。そして何だかGoogle Mapもちょっとおかしい。バス停などの表示が合わない。どうしてだろうか。

香港・深圳茶旅2023(8)香港フラフラ

その奥に、元ホテルだという不思議な建物が建っている。中に入るとレトロな雰囲気で、多くの映画の舞台にもなったらしい。壁にはたくさんのスターの写真が飾られている。元々Kさんは、ここでハトを食べようと思い、選んだらしい。まあ何よりもお客が少なく、ゆっくりと話が出来るのは有難い。

のっけから畲族が登場したので、鳩肉を食べながら、潮州人、客家などの言語学的違いについて、色々と教えてもらった。香港にも多い潮州人とは一体どんな人々なのか。突如注目されてから30年の客家、そして誰も知らない畲族との関わりや如何に。知りたことだらけだが、分かることは多くはない。

3時間も話し込み、店を出た。私は沙田にある銀行へ向かった。ここでも手続きに色々と時間は掛ったが、中国のような緊張感はない。ただ店内では何とも横柄な普通話が飛び交っており、英語を話す客など稀らしい。彼らは大事な客だろうが、私はどうでもいい客なので、その対応は何となく雑になる。

ネーザンロードまでMTRで進む。よく知っているが泊ったことのない宿を予約してみた。当日予約だから高いのかと思ったら、当日でいい部屋しかなかったのだと、チェックインして分かる。まあ香港も深圳も本当にコスパは良くない。やはり私は東南アジアが好きになっている。因みにこの宿には電源アダプターがちゃんと備え付けられていた。

もう夕方なので廟街を歩いてみる。やはり昔の熱気はないようで、屋台は出ているものの静かな感じだ。何となく吸い込まれるようにチェーン店に入り、何となく牛喃カレーを食す。うーん、やはり九龍城迄行きたい。暗くなってからもう一度廟街を通ると、食事をする人が多く見られた。こういうところは一人で食べるのが難しいのでパス。ネーザンロードに戻ると、そこには安い弁当を売る店があり、大繁盛していた。香港庶民も厳しい現実に直面している。

5月10日(水)台北へ

朝は早く目覚めた。今日は台北に帰る日だが、香港への未練はあまりない。取り敢えず散歩に出て、油麻地の天后廟にご挨拶する。それから朝ご飯を探して茶餐庁に入る。人が多くてごちゃごちゃしているのは香港らしいが、料金はうんざりするほど高くなっている。それでも何とか食べていると、中国人観光客家族が入ってきて、めちゃくちゃ煩く、退散する。

そのまま油麻地を歩き、更に深水埗までフラフラ歩いて行ってみる。高層建築が目立つ中、古い建物にどうしても目が行ってしまう。いつまで頑張れるのだろうか。深水埗の近づくにつれて、何となく懐かしい香港の風景が出現して、嬉しくなる。ただ人はあまりおらず、いても香港人ではなさそうな顔の人が多い。

深水埗では、鴨寮街でSIMカードを買った。今回の反省を踏まえて、中国でも使えそうなカードを念のため買っておいた。といっても次回いつ中国に行けるのかも分からないのだが、まあ保険の意味合いが強い。その辺で雲吞麺を頬張る。やはり香港に来たら、一度は食べておこうと思う。

MTRに乗って、尖沙咀へ。普段はあまり歩きたくない所だが、偶には行ってみたくなる。ペニンシュラーホテルは健在で、ネーザンロードも人が多い。重慶マンション、懐かしい。結局横道に入る時間はなく、ただネーザンロードを北上しただけだったが、それでもやはり香港が強く感じられる。古き良き香港、などという言い方は、香港には似合わない。

ホテルまで戻り、チェックアウトする。宿のスタバで林さんと会う。東京以来4年ぶりだろうか。大学時代からの知り合いだから、もう40年になる。私は実は正確な彼の年を知らなかったが、既に70歳を超えていると聞き、驚く。まあ元気でよかった。よもやま話をしているとすぐに時間は過ぎてしまう。

林さんと別れて、空港バスに乗る。急にトイレに行きたくなり、一本逃してしまうと、なかなか来なくて不安になる。ようやく乗り込むと、何となく眠くなる。1時間で空港まで到着する。コロナ禍で空港内部もちょっと変化が感じられた。2003年のSARSの時を思い出すと、香港への影響は甚大だった。

人の移動が止まれば香港は死んでしまう、という恐ろしい体験をしたので、今回の被害も甚大だったはずだ。今や空港に人が戻り、結構混雑しているように見えるが、果たしてどれほど回復しているのだろうか。今更香港の将来をどうこういっても仕方がないが、やはり心配ではある。