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香港で茶旅を語る2019(4)烏溪沙に初めて行く

4月5日(木)
馬鞍山から

香港最終日がやって来た。今朝は宿の周囲を少し散策する。近くには昔ながらの街市、市場があり、老人を中心に常連客が買い物している。それに今日は清明節の祝日にあたり、その老人を連れた子供や孫の姿も見られた。この市場ももし再開発計画でもあればなくなってしまうのかもしれない。今の香港の不動産価格の高さにはそんな危うさが感じられた。

 

荷物を持って駅へ向かう。3日前に来た時の逆を辿って歩く。今日は大圍駅から馬鞍山線に乗り、終点の烏溪沙駅まで行くことになっていた。この路線に乗るのは初めてで、ちょっとワクワクする。石硤尾から乗り、九龍塘ですぐに東鉄線に乗り換え、大圍でまたすぐ乗り換え。乗り継ぎは細かいが、距離的には凄く近くて驚く。また休日なので車両は空いている。結局約束の時間より20分も早く着いてしまう。烏溪沙駅は今のところ、この線の終点だが、今後西貢まで延長される可能性もあるのだとか。

 

そもそも私が住んでいた10数年前は、この駅すらなかったはずだから、香港は常に進化している。そしてこの駅付近が開発され、立派なマンションが駅に張り付いて建っている。私は30年以上香港に関わってきたが、こんなところがあるとは全く知らなかった。『香港は狭いので大体は分かる』などとはとても言えない。むしろ私は香港の何を知っているのだろうかと自問したくなってしまった。

 

ここには大学の後輩Kさんが住んでいた。烏溪沙は始発駅で、混雑もそれほどでもないので通勤には便利らしい。今日は清明節で街中は人が多いだろうと、ここで会う約束をしたが、新しい香港に出会えてとても良かった。駅に隣接したショッピングモールで飲茶した。早めの時間だったが、大勢の近隣住民が順番待ちしている。やはり祝日の午前中と言う感じだ。かなり食べたような気もしたが、料金は街中よりは安く感じられる。

 

思ったより早く席に着く。Kさんとは最近香港に来ると毎回必ず会って話しをする。何しろ私の茶旅の深い部分の知識を、言語学的、民俗学的、文化人類学的に埋めてくれる数少ない貴重な人だからだ。今回も昨日の福佬人や嶺南文化などについて、その定義、見解を聞き、また刺激を受けた。香港を含めた華南の歴史をもう少しきちんと知らないといけない、と痛感する。

 

烏溪沙駅から空港行バスが出ているというので、それに乗ろうとしたら、目の前でバスが行ってしまった。それでも20-30分に一本はあるので何とも便利だ。駅の周りを巡って時間を潰す。ちょうど不動産屋の前に広告が出ていたのでチラッと覗いていると、店員のおばさんが出てきて中国語で話し掛けてくる。日本人だと言うと、一生懸命英語を使ってくれる。

 

彼女の話だと、この辺の不動産も値上がりが続いており、それを見込んだ中国人がたくさん買い込んでいるらしい。価格は50-80㎡程度で、700万ー1200万香港ドル辺りが多い。東京はやはり安く感じられるだろうな、と思う。同時に海が見えるとか環境が良いとか言っても、一般日本人には手が出ない価格帯、中国からの資金流入の激しさを感じざるを得ない。

 

バスは乗った時は空いていたが、馬鞍山市内を回り、更には沙田市内にも寄り、乗客はどんどん増えていく。そして思ったよりもかなり時間が掛かっていた。相当に時間に余裕があったので問題はなかったが、香港の場合、料金と時間がほぼ並行しているので、27ドルという安さを見てみれば納得できる。約1時間半かかって、ようやく空港に到着した。

 

空港でもまだ集合時間に余裕があったので、ずっとPCをいじっていた。意外と集中できた。気が付くと、もう皆が集まっているではないか。今日はこれから昨日のお茶会メンバーの一部と一緒に武夷山に連れて行ってもらうことになっていた。昨日の主催者が茶工場を持っているというので、その見学ツアーだった。

 

厦門航空は週に数便、香港-武夷山直行便を飛ばしている。これに乗ればあっという間に武夷山まで行ける。かなりワクワク、楽しみだ。香港空港にはバスで一度移動する別ターミナル?があることに今回初めて気が付く。やはり色々と進化しているのだ。時間帯が悪いせいか、機内は空いており、ゆったりと過ごせる。武夷山に行くのは3年ぶりだが、果たして今回はどうなるのだろうか?

香港で茶旅を語る2019(3)普通話で茶旅を語る

4月4日(木)
普通話で茶旅を語る

今朝は冬粉とトーストを食べる。これにインスタントコーヒーと言えば、茶餐庁のメニューだろうか。我が4人部屋に何と日本人の若者がいた。彼は地元から香港直行便の第一便に乗ってやってきた。鉄道オタクでもあるようで、これから西九龍から深圳まで繋がった高速鉄道に乗りに行くというのだ。

 

だが中国は全く初めてで言葉も通じない。お金だけは何とかしたいと、スマホを取り出し、微信支付を設定したが、肝心の資金を入れることが出来ないと困っていた。そこで私が通訳して、隣の中国人の若者に入金をお願いしてみた。ところが何度やってもやはり入らない。表示には『この口座は身分証が未登録』と出ている。今中国で外国人が旅するのは本当に難しい。仕方なく彼はその辺に両替に出掛けていった。果たして彼は深圳で目的を達成しただろうか。

 

早めのお昼に出た。旧知の林さんとランチ。指定された地下鉄駅で待ち合わせて、上に出てすぐ近くの林さんお勧めの店に入る。そこは何と咖哩牛腩の店だったのでかなり驚いた。よほど食べたい念力が効いてしまったのだろうか。でもせっかくだし、嫌いでもないので、何も言わずに食べてみる。これはカレーがインド風か、サラサラ。咖哩牛腩にも実は色々な種類があることを知る。

 

林さんとは中国昔話などで、いくらでも話のネタがある。1970年頃に中国の空気を知っている人はそう沢山はいないのでとても参考になる。しかもキューバまで行き、スマホを無くした話まで出てくるから、実に面白い。物事は多角的に見ないといけない、とつくづく思う。

 

林さんと別れて、近所で本屋を探す。奥様からのリクエストである、2019年版の香港街道地図を買いに行く。昔はその辺の新聞スタンドでも売っていたと思うのだが、今はこんな本を買う人などいない、という雰囲気が漂っている。確かに私ですら、もう香港の地図は買わない。全てスマホ地図で済ませている。奥様は毎年これを買い、コレクションしているようだが、いつまで出版されるのだろうか。

 

MTRに乗り、クントンに向かう。前回12月にも行った昔の繊維工場ビルを目指す。しかしなぜか道を反対に歩いてしまい迷う。この辺が老化現象の際たるものだ。一度通った持ちを忘れるはずがない、という思い込み。マズい!途中、今日開店の『紅茶』という名のレストラン?があったが、英語名は『Red Tea』と書かれており、妙に印象に残る。

 

ビルに到着して3階に上がる。今日の茶会の準備が進んでいる。更に上の階で画家の個展が開かれているというので見に行ってみる。カナダに渡った香港人が描いたもので、元は実業家らしい。日本にも何度も行っており、日本の風景もちょくちょく描いているという。

 

午後3時から5時まで2時間、私の茶旅のトピックスと、日本茶の簡単な歴史を紹介した。参加者は20名程度。こちらの会社の社内研修のようなものだから、と言われて参加したのだが、お茶好きの香港人、そして日本人を前にパワーポイントを使い、何と普通話で話し続けた。これまで多くのセミナーでお話ししてきたが、これだけ長い時間普通話だけを使い続けたのは初めてだろう。かなり緊張した。

 

そして何より驚いたのは、香港財界の大物である、83歳のこちらのオーナーも最初から最後まで参加され、途中からは色々お話ししてくれたことだった。お茶が好きだという熱意には驚く。福建出身で先祖は茶貿易に携わっていたというが、彼自身は繊維、不動産開発の成功者だ。彼の娘と息子も同席し、新茶、緑茶を特別に飲ませてもらい、なかなかない体験をさせてもらった。

 

何とか茶会は終了したが、お茶好きさんからの質問を沢山受けた。香港茶の歴史もいつか調べてみたいと思うようになる。会が終わると、今日の茶会をアレンジしてくれたTさん、そしてそのお知り合いのUさんと共に、今回私のTさんを紹介してくれた、20年来の知り合いであるNさんを訪ねて、お礼を言いに行った。

 

Nさんとは近年何度も会っているが、仕事の話も殆どしたことはなく、勿論仕事場に出向いたのも初めだった。彼はサラリーマンから独立して、今や香港日本人の成功者だ。そのアパレル会社の名前に『Tea』とあったので驚いたが、よく見たら『Team』だったので笑ってしまった。今の私には見るものすべてTeaに見えてしまい、反応してしまうのだ。もうバカの領域ではないかと自嘲するしかない。

 

夕飯はイタリアンに行った。イタリアにもよく行くTさんは店員のイタリア人にイタリア語を使っている。そう、香港とはこうだったんだ。東洋と西洋との接点、と言った雰囲気があったものだが、今や東洋、いや中国の影ばかりが見えてしまい、ちょっと残念だ。そういう私も視野は随分と狭くなっているのを肌で感じている。

香港で茶旅を語る2019(2)久しぶりの歴史散歩

歴史散歩

流石に横にマッチョ君がいたので眠れないかと思ったが、夜中にクーラーを切ったらよく眠れた。それほど暑い訳でもないので、ちょうどよかった。安いゲストハウスなのに、朝食まで付いている。1階に降りると、5種類から朝食を選ぶのだが、食事を渡すのはスタッフの手作業。この事件費の高い香港でなぜ?クロワッサンとインスタントコーヒーを外へ持ち出し、中庭で食べると何とも心地よい。

 

食べながら見ていると、ここには裏山があり、老人が登って行ったので良い散歩道があると確信した。食後そのまま私も登ってみたが、意に相違してその上り坂はかなり急で、高所恐怖症の私には辛いものだった。ところが老人たちはそこをスタスタと上って行くので驚いてしまう。天気も良くなり、暑さも感じる中、登りきるとホッとする。帰りの緩やかな道を探したが他に道はなく、とても良い景色を少し眺めた後、また元来た急な階段をおっかなびっくり降りて行く。これは相当に消耗した。

 

今日は九龍城に行く予定になっていた。いつもなら旺角からミニバスに乗っていくのだが、地図的に見えればどう見ても、ここからバスで行くのが近い。探してみると直接イケるバスもあるではないか。スマホに従ってバス停を見つけて待つ。ところがバスは予定時刻になっても来ない。こういう時は少々焦るし、他の方法に切り替えるかどうかの判断が難しい。

 

まだ時間的に余裕があったのでそのまま待っていると、20分後にようやくバスが来た。バスは途中からいつものコースを辿り、僅か20分で九龍城に到着した。Yさんとの待ち合わせ時間より早かった。取り敢えず待ち合わせ場所の茗香茶荘に向かう。ここでいつものようにお父さんから香港茶業の歴史について、具体的な話を聞く。今日は珍しくマイケルも上機嫌で色々と資料を出してくれ、非常に収穫のある訪問となった。最後にいつもの鉄観音茶を購入して終了。

 

Yさんも合流したので、まずは腹ごしらえ。突然どうしても食べたくなってしまった咖哩牛腩を清真牛肉館に食べに行く。まだ時間が早いので空いており、ゆったり。咖哩牛腩と肉汁たっぷりの牛肉餅がセットをオーダー。腹に最後まで詰め込み、久々の充実感を味わう。

 

食後は九龍城を散策。古い薬局を改造したおしゃれなカフェがある。歴史的建造物の保存の仕方は色々あると思うが、活用できるものはした方がよい。九龍城公園の中を少し歩く。魔窟と呼ばれた九龍城には1990年頃、取り壊しの話があった時でも、一度も中に入ろうとは思わなかった街だ。

 

公園の横には侯王古廟がある。最初に建てられたのは1730年頃というから、香港もその時代、既にこの辺りまで漢人が南下してきて住み着いていた、ということだろうか。以前来た時よりすっかりきれいになっており驚く。裏側には昔からある大きな岩がそのまま置かれているが、その後ろは高層マンションが建っており、今の香港らしい風景ともいえる。その向こうには墓地も見えている。

 

侯王古廟の斜向かいには、古めかしいレンガ造りの建物が見えた。ここもきれいに改装して、100年前の人々の暮らしを再現、展示する施設になっていた。潮仙飲食文化というコーナーもあり、お茶のことも語られている。ただ当時香港にどの程度、この潮仙文化があったのかには、若干疑問もなくはない。

 

九龍城はこれぐらいにして、バスに乗り、前回閉館していた香港歴史博物館に向かう。これもバス一本で行けたが、時間はかかった。本日は無料開放日でラッキー。展示物は多過ぎてとても1回では見切れない。今回特に目を引いたのは、福佬人という表現。これは台湾で『原住民でも、客家、外省人でもない閩南語を話す台湾在住者』を指す時、たまに見かける言葉だが、ここ香港には明確な福老人がおり、その文化があるとされている。

 

香港伝統文化に詳しいYさんと見ていると、長洲島のまんじゅう祭りなども、福佬文化だというので驚いてしまう。しかしそれでは香港の彼らは閩南語を話すのだろうか。客家と何らか区別するために使われた言葉で、昔は閩南語を使っていたか。潮州語と閩南語も6-7割は意味が分かると聞いており、その辺の違いを今後理解したいと思う。

 

また上の階には、昔の老舗茶行の様子がそのまま展示されており、これも驚く。照明が暗く、写真は撮り難い。1855年に香港で開業した陳春蘭茶荘、1996年に廃業したものをそっくり寄贈したらしい。この茶荘についても極めて興味があるが、今日はほぼ時間切れとなってしまったので、また訪ねてみたい。

 

そこから上環の茶縁坊に回って、高さんと雑談した。彼女も鉄観音茶の産地出身だが、鉄観音の産量は多くないという。またミャンマーの大茶商、張彩雲のことは、安渓大坪では誰もが知っているが、その娘が今も住んでいることは知らないという。歴史とは案外そんなものかもしれない。

 

夜は北角市場で、I夫妻と夕飯を食べる。I夫妻とは北京時代からのお知り合いだが、昨年12月は奥さんだけに会っており、Iさんとは数年ぶりか。今週はレスリーチャンの命日があったためか、レスリー映画が流れていたりする。その横では店員が器用にビールの栓を開け、喝さいを浴びる。古き良き食堂で、海鮮などを楽しむ。

香港で茶旅を語る2019(1)美荷楼に泊まる

《香港で茶旅を語る2019》  2019年4月2-5日

香港に行くのはせいぜい1年に1度、と思っていたが、昨年12月にご縁があり、今回お声が掛かったので、いそいそと出掛けていく。それにしても人生で初めてかな、中国語で長時間、お話をするのは。1か月ぐらい前から、かなり緊張している自分がいた。

 

4月2日(火)
香港へ

1か月ぐらい前に香港航空で台北から香港行きを予約した。先日ハバロフスクで人生初の予約姓名間違い事件を経験して、飛行機に乗るのにちょっと警戒心が生まれていた。今回も早めに予約を確認しようと思ったが、何と予約確認書が来ていない。そうなると突然不安になる。そうだ、あの時予約したつもりだったが、途中で止めてしまったのではないかと。

 

最近の物忘れのひどさは相当の状況に達している。自覚があるからこういうことになる。慌ててネット検索するとそのフライトはまだそれほど料金も変わらずに購入可能だった。再度購入しようと思ったが、その行為に既視感がある。念のため手帳を見てみると、4月2日の欄に予約番号が書かれているではないか。これで検索するとちゃんとこの便が出てくるが、そこには私の名前はない。

 

もう面倒なので、空港で確認することにした。桃園空港までいつものように行って見ると、香港航空のカウンターは本当に端っこにあり、まるで隔離されているように見えた。そこには既に長蛇の列が出来ており、この列に並んでいて、もし予約がない、という話になったら、買い直す時間もないかもしれない。よく見るとそこには自動チャックイン機が置かれていたので、それで試してみると、ちゃんと発券されるではないか。しかも荷物は全て機内に持ち込んでよいと言われ、小躍りして出国審査した。

 

香港航空だし、フライト時間も短いので、機内食はないと思って、空港内のバーガーキングで早めのランチを食べる。どうもここの食べ物はあまりすきにはなれない。機内に入ると、機材は最新鋭の大型でゆったりと座れる。そして何と普通に昼食まで出てきたが、腹一杯で喰い切れない。やはりLCCではないのだ。

 

香港に到着すると、荷物は手荷物だけなのですぐに外に出られ、とても良い。LCCだと必ず荷物を預ける羽目になるのでここでの時間ロスは意外と大きい。携帯屋に行き、『昨年12月に買ったシムカード、まだ使えるか』と聞くと、『トップアップすれば使える』というので、50ドル払って起動させる。これも意外と有り難い。

 

今回はいつもの銅鑼湾宿泊ではなく、深水埗という未知の場所に泊まる予定となっている。空港からどうやって行くのが良いか分からずに検索してみると、いくつものルートが出てくる。その中で空港バスに乗り、黄大仙まで行き、そこでMTRに乗り換えるルートを選択する。

 

本日は天気が良く、バスの窓から気持ちよい風景が広がっている。40分ぐらいで黄大仙に到着。久しぶりにお参りしたかったが、荷物もあるので断念して地下へ。ここから3駅で石硤尾に着く。深水埗駅に行くには更にMTRを乗り換えないといけないが、本日の宿泊先は石硤尾からも徒歩10分程度なので、こちらを選択する。

 

初めて降りる石硤尾では道に迷いそうになるが、スマホがあるので何とか歩ける。公団住宅のような団地が並ぶ一角、そこに美荷楼は建っていた。この付近が火事で焼けてしまった後、1954年に建造された、香港公団住宅の走りであり、今や歴史的建造物に指定されている。政府はそこを貸出、改修されてゲストハウスが経営されている。

 

今回の宿泊手配はTさんがしてくれたので、どんなところは分からない。GHだからやはり若者が多いようだ。部屋は何と、ドミトリー。しかも2段ベッドではなく、普通のツイン部屋だから、隣に知らない人が寝ている感じだ。私の隣人はマッチョ系アルゼンチン人で、韓国でモデルをしているらしい。彼が上半身裸でいると、一瞬ドキッとする?ツイン部屋2つにバストイレが1つ。室内、いや楼内全体はとても清潔だ。

 

部屋にはおじさんもいた。香港生まれで返還前にオーストラリアへ移住した人だった。香港の物価がこんなに高くなって驚いている。彼は一生懸命中国人の若者と普通話を話しているのが微笑ましい。お茶にも興味があるというので、オーストラリアの先住民、アボリジニが飲んでいたお茶について、ちょっと話が弾む。

 

美荷楼を見学する。こちらでは定期的に見学会もあるようだ。居心地のよさそうな中庭があり、建物内にはキッチン、ランドリーなどの設備も整っている。私にとって問題なのは、お茶を飲むのにわざわざキッチンまで来ないとお湯が得られないことぐらいだろうか。ドミトリーで満足できるなら、料金的にお勧めかも知れない。

 

深水埗駅の方へ出てみる。ここには電脳街があることは知っていたが、来たことは一度もなかった。私の目的は、中国大陸で使えるシムカードを購入すること。前回香港空港であまりにも高い大陸用シムカードを買わされた?ので、先日東京で会った香港人の林さんに、安い物を買ってきてもらったが、今回は自分で調達しようと出向いた。

 

シムを売る店は何軒かあったが、皆広東語でサクサク買っている。私も無理して広東語を使ってみたが、あまりにも下手で相手は理解できず、仕方なく英語に切り替える。10日間使えるシムが僅か50香港ドルとは確かに安い。ここではどこの国でも使えるシムを大量に売っていて興味深い。

香港でちょっと茶旅2018(3)懐かしい人々と会う

12月12日(水)
懐かしい再会

今朝はホテルの朝食でスタート。やはりここのご飯はそれなりに充実している。常に混んでおり、席の確保が大変だ。ビジネスマンがさっさと食べている傍らで、妙齢の女性がゆっくり食べている。中国人男性はここでも山盛り、そしてスマホで電話しまくる。洋食からインド系、和食まで、何でもあるので私は食べまくる。部屋代は朝食込みながら、一応サインをさせられるとドキッとするのも変わらない。

 

昨日支店で断られたHSBC、今日はわざわざ本店に行って見る。すると対応がまるで違う。ただATMで現金が引き出せなかった原因は『カードの破損』と認定され、再発行になってしまった。ところが別の部署でこの話をするともう一度確認すると言ってカードをATMに入れると見事にお金が出てきた。『カードは壊れていないが、すでに再発行が行われたので、すぐにこのカードは使えなくなる』とは困った。

 

因みにHSBCは外資銀行だ、とのコメントを頂いたが、香港に10年住んだものとしては、最大の発券銀行であり、名前に香港が付き、何より地元民が『香港バンク』と言っているHSBCこそ、地場銀行の代表だと勝手に考えている。この銀行の長い歴史を考えると、往時は茶葉金融もかなりやっており、興味は尽きない。

 

昼頃、今回のメインイベントに出掛ける。場所は懐かしの?日本人クラブ(移転後2回目の訪問)。久しぶりに事務局のSさんにも会って昔話に花が咲く。今日はアジア情勢というより、お茶から見るアジア、アジア茶の現状をお話ししたが、果たしてどれほどお役に立っただろうか。

 

それから中環へ向かった。ちょっと慌ててMTRに乗り込んだのだが、中環駅で降りると、オクトパスカードがない。最近のボケはここまで来たか。遅れてはいけないのでかなり焦ったが、窓口で失くしたことを話すと、即座に臨時カードで出してくれ、改札を出られた。新しいカードを買うと『今回は災難でしたね、次回気を付けて』と言って今回の乗車運賃は取られなかった。日本なら説明だけで大変だっただろうな、さすが香港。

 

香港に来る前、Wさんという方からメールをもらった。香港に来るなら会いたい、という。誰かと思っていたら、北京でご一緒した方で、アメリカに行っていると思っていたら、何と2週間前に香港に赴任していた。そのWさんは今や香港日本人社会のトップだった。ちょっと緊張してエクスチェンジスクエアーに伺ったが、偉くなられても相変わらず気さくで柔和。そして滋賀のお茶をアメリカに売り込んだと言い、お茶の勉強までされており、お茶談義をしてしまった。確かに北京でうちのお茶会にも時々来て頂いていたが、実に多趣味だ。

 

中環から上環まで歩いて行く。もう夕方だが、旧知の堯陽茶行に行き、いつもの王さんに挨拶しながら、鉄観音茶の香港での歴史を聞く。彼らは安渓の出身だが、元々鉄観音の取り扱いは多くはなかったようだ。1970年代までは炭焙煎だったが、量が増えて電炉に変わったという。先日訪ねたバンコックの集友茶行や王有記ともやはり繋がりはあった。

 

更にはお向かいの林奇苑に飛び込み、ちょうどいた先代老板(以前に何度も会ってはいる)にいきなり、『林奇苑という名はどこから採ったのか』と不躾な質問を始めた。実はこの名前、戦前厦門の大茶商であったことは、先日のバンコックで確認していたが、今の老板は潮州人。やはり何の関係もないことが分かり、すぐに退散。

 

部屋に戻って最後の夕日を眺め、夜7時に銅鑼湾のタイムズスクエア―に行く。今晩は北京繋がりで、最近香港に越してきたIさんと会う。市場の横の食堂で海鮮を食べるというので、旧知のOさん、Yさんにも声掛けし、更に知り合いの知り合いというO夫妻も加わり、賑やかに食事をした。Iさん以外は香港歴20年以上のベテランで、香港話の内容もそれなりに濃い。涼しいので鍋が体に沁みる。

 

12月13日(木)
茶縁坊に寄って

今朝はエクセルシオールにお別れした。実にあっけない。まあこういうものが歴史になっていく。荷物を引いてバスに乗り、また上環に向かった。高さんには連絡してあり、香港を離れる前にちょっとの時間を茶縁坊で過した。こことのお付き合いももうすぐ20年になる。やはり老舗お茶屋の話や鉄観音の話を聞く。

 

香港の喧騒の中で、ここにいる時は何とも落ち着くのがよい。安渓大坪からも沢山の華僑が排出されており、先日のヤンゴン、張源美のように有名になった茶商もいる。だが大多数は無名で終わる。ただその人々にも人生があり、日々の営みがあったのだ。歴史はそれを全て掘り起こすことは出来ない。自分が今体験している付き合いでしか、分からない。

 

空港に行く時もやはり空港バスに乗ってしまう。先日に失敗があったものの、上環からなら、渋滞も避けられるので問題はなかった。今回の3泊4日の旅はあっという間に過ぎてしまった。やはり香港にはなにがしかの愛着があり、もう少し長居したい場所だ、としみじみ思いながら、帰路に就く。

香港でちょっと茶旅2018(2)観塘の出会い

12月11日(火)
大学駅へ行くはずが

今回1泊したホテルは近くのホテルの系列店として出来たばかりでとてもきれいだったが、如何にも香港らしくかなりコンパクトな作り。ボーイのおじさんは日本語を話しているので、本店から回って来たのだろう。部屋の冷蔵庫の飲み物は無料だったが、やはり4本中2本はビール。お客の嗜好に合わせて替えて欲しいな。わがままか。

 

朝部屋をチェックアウトして、荷物を預けて、バス乗り場に向かう。この時期の香港としては気温がかなり低く、厚着が必要だった。今日は新界まで行くので、バスでハーバーを渡り、そこから列車で大学駅まで行くつもりだった。100番台のバスは全てハーバーを越えると思い込み、来たバスに乗ったのだが、どうも様子がおかしい。香港島の中へ切り込み、ついにはアバディーントンネルに入ってしまった。

 

完全に方向を間違えたと思ったが、トンネルは長い。どこで降りれば反対方向へ行けるか考えているとトンネルを抜けた。そこにはなんとMTRの駅があるではないか。海洋公園、そんな駅、いつから出来たんだ。祈る思いでそこへ行き、このMTRの行先を確認すると金鐘だった。しかも乗車僅か10分で金鐘に着いてしまった。さすが香港のスピード感。

 

金鐘で満員のMTRに乗り換えて、旺角でも乗り換えて、何と約束時間の少し前に大学駅に着いてしまった。これには正直驚いた。バスの時間が読めないので少し早く出たとはいえ、こんなことってあるのだろうか。それにしても、バスを乗り間違えるとは本当にボケが進んでいる。

 

今日は旧知のKさんと会った。駅前の中文大学の施設、最近は試験シーズンとかで、かなりひっそりしていた。そこでブランチを頂きながら、話をした。ここ2回ほど香港に来ると必ず、彼に会っていた。何しろ話していると、歴史に関する新たな視点が見えてきて、とても面白いのだ。言語学、民俗学、アジアの歴史、凝縮された内容で、歴史は一方向からのみ見ていてはダメだ、と思わされる。

 

2時間はあっという間に過ぎてしまう。昼を過ぎて少し時間があったので、MTRでホンハムまで戻り、香港歴史博物館を訪ねてみた。前から行きたいと思いながら、なかなか時間が取れなかったので、いい機会だと思って勇んでいったが、火曜は休館日だった。何と間の悪いことだろうか。次回を期して、黙々と去る。

 

お茶ビルとの出会い
午後は観塘に向かう。25年来の知り合いであるNさんから先日『香港で茶のイベントをやっている人たちがいる。紹介しようか』という話が舞い込んだ。正直茶の歴史は、イベント活動とは、合わないのではないか、と思っていた。だが折角ご連絡を頂いたので、どんなところか一度訪ねてみることにした。

 

観塘は昔繊維などの工場が立ち並ぶ場所というイメージがあったが、訪れることは稀だった。駅前にはショッピングモールがあったが、ちょっと歩くと、昔の香港が少し垣間見られる。指定されたビルに着くと、やはり昔の工場ビルの雰囲気が残っていた。そこで日本人のHさん、Nさんと合流した。

 

お二人の香港歴は私より長く、既に30年に達していた。元はやはり繊維関連の仕事をしていたというのだが、それがどうお茶と結びつくのか。ビルに入ると、きれいなティーショップになっていて驚く。更に上の階に上がると茶館のようなスペースがあり、様々なお茶が飲めるようになっていた。

 

このビルのオーナーは不動産などで財を成した方で、香港だけではなく、北京の有名地区の開発も手掛けていた。そのお嬢さんがお茶事業を行っているという。元は福建出身で岩茶などがメイン、武夷山に茶工場も持っているという。そしてこのビル一棟のスペースを使い、茶館、イベントスペース、博物館などを作り、ビジネスを広げようとしていた。

 

特に私の目を引いたのが、お茶関連の骨董コレクション。昔の茶缶や茶などがふんだんに置かれており、ちょっと圧倒される。現在喫茶スペースを整理して、今後は定期的にイベントを行い、茶の普及に努めるという。何だかとても面白い、不思議な空間に紛れ込んだようで、興味をそそられた。Hさんはここで音楽と茶をコラボしたライブなどの開催で、検討が進んでいるようだ。会話は英語と普通話が半々。

 

観塘からMTRに乗り北角経由で天后に戻る。こういう便利なルートが出てきており、今まで遠いと感じていた観塘が非常に身近に感じられた。ホテルに荷物を取りに行き、そのままエクセルシオールに向かう。ここに初めて泊まったのは1980年代後半だろうか。場所が便利なのでここには何度も泊まった。2階のカフェにもよく行った。

 

チェックインは混んでおり、クリスマス前のこのシーズンは繁忙期だと分かる。部屋に入ると、ビクトリアハーバーが見えたので思わず写真に収める。いつの間にか日本人客用のグッズ(浴衣と煎茶)も届き、懐かしい雰囲気となる。夕暮れを見ながら、ゆっくりと部屋で過した。

 

夜は翌日の打ち合わせを兼ねて食事。銅鑼湾の海鮮料理屋で、蝦やホタテをご馳走になる。この会社の責任者がちょうど交代する時期で、ご挨拶を兼ねていたが、新任は女性だった。今はあいさつ回りの最中で、忙しい中、付き合って頂き、感謝。

香港でちょっと茶旅2018(1)波乱の初日

《香港でちょっと茶旅2018》  2018年12月10-13日

今年2回目の香港。30年以上前から泊まっていた銅鑼湾のエクセルシオールホテルがもうすぐ無くなると聞いた。閉鎖前に一度行って泊まりたいな、と思っていたら、ちょうどいいお話が飛び込んできたので、少しタイトなスケジュールの中、香港に飛び出してみた。

 

12月10日(月)
香港まで

香港行きのフライトは近年、中国行きや台湾行に比べて割安状態が続いていた。だが今回出発1か月前に日系航空会社を予約しようとすると、非常に高い。しかも某社はネットでは羽田往復の予約を受け付けず、片方が成田でなければチケットが買えないという前代未聞?の事態に遭遇する。ビジネスクラスを買え、とでもいうのだろうか。

 

仕方なくそれなりの料金を支払い、成田へ向かう。午前10時発の成田便に乗るには、始発に近い時間に家を出なければならない。そしてちょうどよい電車がないので、珍しく馬喰町からJRに乗ってみる。同じ成田に行くのに、スカイアクセスより時間が掛かる上、料金も高いのだから、乗る人は多くない。外国人が大きな荷物を持って、まごまごしながら、階段を下りてくる。エレベーターすらないのだろうか。

 

以前は日系航空会社に乗るのはある種のステイタスだったかもしれないが、最近はサービスの質の低下を感じることが多い。台湾に行くならエバ航空の方が余程気が利いているし、食事も美味しいと思う。日系がいいのは映画が充実していることぐらい、と知り合いが言っていた。今日は『日々是好日』という樹木希林の遺作であり、茶道が題材の映画をゆっくりと見る。

 

そうしているとなんとデザートにハーゲンダッツアイスが配られ始めた。この寒い季節にアイス?正直信じられない思いだった。私は意地汚いのでもらって食べたが、ちょっとお腹に堪えた。何人もの人、特に香港人、中国人は拒否していた。南国に行くわけでもないのになぜ、こんなものを出すのだろうか?ハーゲンダッツの時代は本当に終わったのだろうか。

 

香港初日は波乱含み
空港では今回、手荷物しかないので、あっという間に外へ出た。これは早くて助かる。香港用のシムカードを買いに中国移動のブースへ向かう。実はこの後すぐに、中国へ行くので、ついでに中国用を買うためだった。ところが私のスマホには中国移動の香港用シムスら適応しなかった。

 

何故だと聞くと、『時々そういうお客さんがいる。こちらでは対応しないので香港の会社へ行ってくれ』と追い出されてしまった。仕方なく香港キャリアに行き、香港シムを買い、合わせて中国シムもこちらで買ったが、何と8日間で238香港ドル、私は2週間の予定なので、2つ買わなければならなかった。すると店員が2つ目は半額だからお得だよ、という。何とも割り切れない思い。

 

空港エクスプレスに乗ればよいのに、いつもの癖で銅鑼湾まで空港バスに乗った。午後4時前ならそれほど混んでいないだろうと思っていたが、それは大きな間違いだった。香港島に入ると渋滞が続く。途中で降りてMTRに乗ればよかったのだが、まさかこんなに渋滞とは予想せず、最後まで乗っていたら、何と2時間近くかかってしまった。後で聞くと近くで大きな事故があり、一時道が封鎖されていたらしい。

 

夜の予定があったので余裕を持った日程を組んだのに、時間がギリギリになってしまう。エクセルシオールの宿泊は明日からなので、今日は近くの新しいホテルに投宿した。ただちょうどチェックインが混みあっており、時間がもったいないので荷物だけ預けて、すぐに外へ飛び出した。

 

中環で約束があったのだが、その前にどうしてもしなければいけない手続きが銀行であり、結局待ち合わせに遅れてしまう。だが、HSBCなどの銀行は午後5時には窓口を閉める中、外資系は対応してくれているので、文句は言えない。しかもかなり親切で有り難い。後日、全く同じ手続きをしにHSBCの支店に行ったら、『こんなものは自分でやれ』と若い行員にいわれ、『でも外資は対応してくれたよ』というと、『我々はHSBCだ』と言い放ち、文句あるかという態度だったので、よほど解約しようかと思った。

 

夜はKさんに誘われてFCCで食事した。30年前の香港の話から、最近のトピックスまで、色々と教えて頂き、為になる。FCCと言えばやはりカレーなので、毎度のことながらこれを注文し、美味しく頂く。本当に昔と比べれば混んでいる。特派員の人はもういないのだろうか。

 

帰りは銅鑼湾駅より近いと思い、隣の天后駅で降りる。ここは4年間住んだ場所であり、とても懐かしい気分で、周囲を少し散策した。ほとんど店が変わっているように見える。唯一セブンイレブンだけが昔のままのようだ。不動産屋の看板を見ると、昔でも結構高かったが、今では日本人が住める家賃ではなさそうだ、この街は。

香港つかの間茶旅2017(3)学生時代に戻った気分で

そのままセントラルへ行き、スターフェリーに乗った。まだ夕方で夕日がまぶしい。何だかんだ言っても、一度は必ず乗るのだ。観光客が大半を占める中、わずか10分にも満たない船旅は波に揺られて、心を揺らす。両岸の風景も時々変わっており、香港の現在を映し出す鏡のようで、その変化が楽しい。

 

今晩はフェリー乗り場のすぐ先のホテルで林さんと会うことになっていた。場所は問題なくわかっていると思い込んでいた私だが、ショッピングモールの中に入り込んでしまい、迷子になってしまう。一度迷うとこれは困る。そのホテルの名が表示されたり消えたり。最後は仕方なく人に聞いてみて、一度道へ出ないとホテルに入れないことがようやく分かった。

 

大汗をかいて遅刻した私を林さんは温かく迎えてくれる。今日は初めて奥さんにも会った。3人で立派な和食の店に座る。そして奥さんに好きなものを頼んでもらい、それを食した。いきなり寿司が出てきたり、うどんが出てきたりする。こういう経験は日本人ではできないので、何とも興味深く、そして美味しく頂いた。お酒を飲まないので食事は早くに終わり、別れた。ご馳走様でした。

 

帰りも又スターフェリーに乗る。今夜も夜景がきれいだ。なんとも贅沢な時間を過ごす。初めてこの光景を見たのは今から30年も前のこと。やはり香港にはこんな夜景が似合う。香港は如何に変化してもやはり香港だ、と思うと同時に、目に見えない大きな変革に晒された香港の将来にちょっと思いを馳せる。

 

8月21日(月)
広州へ

翌朝も早めに起きて、宿をチェックアウトして香港大学へ向かう。昨日のリベンジだ。平日の朝8時の地下鉄はさぞや混んでいるだろうと、荷物を宿に預けて、乗り込んだが、思いのほか混んではいなかった。今や香港島は通勤の主流ではないのかもしれない。やはりあっという間に到着する。

 

8時半には図書館に着いたが、ビジターは9時に受付で登録しないと、入ることは出来ないという。この30分はもどかしい。9時になり、登録にも手間取ったが、無事に館内に入り、時間が無いので、最初からデスクに検索相談に行く。丁寧に検索をしてくれたが、やはり資料はそう多くない。それでもいくつか見つけ出し、備え付けのPCでそれを見て、必要部分はコピーした。決済はオクトパスカード。日本の大学だと、こんなに便利だろうか。

 

用事を済ませると、すぐに宿に取って返し、荷物を引き取り、バス停へ。ホンハムへ行くにはトンネルを越えるバスが一番早い。向こう側へ着くと、今度はMTRに乗り換え、待ち合わせ場所の駅へ急ぐ。初めて降りたその駅でKさんが待っていてくれた。彼と会うのは何年ぶりだろうか。

 

駅近くのショッピングモールに入り、レストランを探す。結構人がいるのでビックリ。何とか席を確保して、料理を頼み、話し始める。実は彼とは31年前、上海留学が一緒で、大学も1年後輩という関係。最近彼が実家からその当時の写真を掘り出してきて、FBに上げたのだが、その中の1枚に私も写っていた。和平飯店の前で4人して写っているのだが、後の二人は誰だろう。一人は大学の先輩で、今は某大学の教授だという。ただもう一人の女性に心当たりがなかったのだが、これもFBの力。やはり後輩だと分かる。そんな昔話をするつもりだった。

 

ところが話が『私は今台湾の埔里に拠点がある』というと、彼が食いついてきた。埔里とはどういう意味か、タイのチョンブリのブリ、マレーシアのジョホールバルのバルと同じ意味では?などと畳みかけられ、更にはタイから中国広西、そして沖縄まで話が飛んでいく。彼は香港で言語学を教えており、まさにそんな研究をしているらしい。私はお茶の歴史を勉強しているのだが、よもやこんなところでお互いの学習がクロスするとは信じられない。

 

二人して夢中で話した。料理のことも覚えてはいない。隣のおばさんがやけに大きな声で話しており、煩いと言ってしまうほど、自分たちの話にワクワクしていた。こんな感覚は最近滅多にない。いや、まるで学生時代のノリなのである。お互いいい歳になったが、こんなふうに盛り上がれるとは、興味のある分野があるというのはよいことだと再確認した。

 

あっという間に3時間近くが経過していた。香港のレストランはランチがそのまま下午茶になるので追い出されないので、気が付かなかった。とても名残惜しかったが、Kさんと再会を約して別れた。そしてまたMTRに乗り、国境へ向かう。何十回も通過した羅湖。以前ほどの人の数ではない。国境を越えると、駅に向かい、切符を買う。ここから広州までは僅かな時間だ。急ぐ旅ではないが、早く着きたい!

香港つかの間茶旅2017(2)郭春秧を追って

銅鑼湾まで戻ってくると、実に様々な国籍、肌の色の人々が行き交っていて面白い。その中で何やら路上で展示が行われていた。よく見てみると、『釣魚台は中国領土』という幟が見える。展示は香港人の活動家が、尖閣諸島に上陸した時に写真のようだ。香港は日本びいき、などと思っていると、実は色んな人がいるので注意が必要だ。

 

夜まで部屋で休み、また出掛けて行く。今度は地下鉄で旺角だ。少し早く着いたので女人街でも見学しようかと歩いて行くと、道の両側に楽器やカラオケを並べて、歌ったり、演奏したりしている人たちがいた。以前はなかったように思うのだが、いつから、何のために始まったのだろうか。憂さ晴らしなのか。

 

今晩は香港研究家のK夫妻と食事することになっていた。そこにYさんとOさんも参加したので、まるで10数年前の香港滞在時を思い出すメンバーとなり、話は当然昔話が多くなる。今の香港、問題が多過ぎて、聞けばいくらでも出てくるだろう。本来なら現在の香港情勢について解説してもらう良い機会なのに、何となく昔の風情を残すレストランで、リーズナブルな値段で美味しいものを一杯食べて、楽しく過ごしてしまう。それでよいのだろうか、きっとよいのだ。

 

8月20日(日)
香港大学へ

今朝は香港大学へ行くことにしていた。今や地下鉄で行けるので、銅鑼湾から30分はかからない。何と便利になったのだろう。香港大学は数年前に大きく拡張されたが、駅はそのちょうど真ん中にあるようで、エレベーターを登っていくと、中間に出た。今日の午前中は、茶の歴史関係の調べ物で図書館に籠るつもりである。そのためにN先生に許可まで取ってもらっていた。時間がもったいないので午前9時の開館の時間に到着する。

 

ところが、何と日曜日は休館だったのである。その昔この大学にお世話になったことがあるが、確かに日曜日にここに来ることはなく、全く想定外の出来事だった。しばしボー然と立ち尽くした後、仕方なく、懐かしいキャンパスを歩いて見る。昔からある建物はやはり昔のままの風情を残しておりよい。

 

そこへ茶縁坊の高さんから『いつ来るんだ?』とメッセ―ジが入って来た。彼女もついにスマホを使いだしたのだ。当初は午後行くと伝えていたのだが、この状況が分かっているかのように『早く来い』と言ってくるのが、何ともおかしく、そして有り難い。すぐさま地下鉄で上環へ戻る。

 

高さんと再会し、お茶を飲み始める。息子もやってきて、いつものようにお茶の話から香港の話まで、しゃべり続ける。するとそこへいつもはいないご主人までがやって来た。彼は平日他の茶荘で、茶師としての仕事をしている。その彼が何と、私が安渓の張さんの家で大好きだった、炊き込みご飯をわざわざ作って持ってきてくれたのだ。彼はあの張さんの弟、昔からあのご飯を食べていたことがよくわかる。それにしても、何よりのご馳走だ。本当にありがたい。

 

春秧街
午後はまた地下鉄に乗り、北角へ向かう。今回の台湾茶調査の目的、それは南洋の4大砂糖王の一人、郭春秧について調べることであり、彼の名前がついている道、春秧街にも行ってみることとした。その昔、1-2度は行った場所である。何しろそこはトラムの終点の一つだから、馴染みがある。

 

その道を相変わらずトラムは走っていた。あまり広くないその道の両側には乾物屋などの商店が並び、更には服などを売る露店がせり出しているから、トラムはそこを抜けていくことになる。歩いている人の中にヒジャブを被っているインドネシア系と思われる女性が多くいた。

 

郭春秧がここで開発を行ったのは1920年代からであり、最終的に住宅を作ったらしい。そして第二次大戦後は福建からの大量の移民がここになだれ込み、一時は『小福建』とも呼ばれるほどだった。更には最近ではインドネシア系出稼ぎ者が住む街としても知られており、郭春秧が福建出身のインドネシア華僑だったことを考えると、とても偶然とは思われない繋がりがある。だが現在それを示すものは道路標示以外何も見当たらない。勿論茶荘などもなく、香港で包種茶が商われていた形跡も発見できない。

 

謎は深まっており、このモヤモヤを何とか解決したい。その思いでバスに乗り、中央図書館を目指した。ここはビクトリアパークの横にあり、私が10数年前に住んでいたところにほど近い。日曜日の今日、やはりインドネシア人が楽しそうに公園を占拠していた。昔よりもその数は増しているだろうか。

 

図書館には以前何度か来たことがあるが、オープンで立派なところである。勿論日曜日の午後、人は多い。そこをかき分けて人名で検索を掛け、参考になりそうなものを探した。だが驚いたことに、春秧街という道の名は香港人なら誰でも知っているのに、肝心の郭春秧に関しては殆ど知られていないことが分かった。

 

何故だろうか。如何にも研究対象になりそうな人物だと思うのだが。資料として出て来たものは、大体どれも同じ内容のコピペであり、また道についての動画だったりするだけ。郭春秧という人物について研究されたものは全くなかった。何だかとても残念な気分になり、図書館を後にした。

香港つかの間茶旅2017(1)香港国際茶展へ

《香港つかの間茶旅2017》

香港には長く住み、愛着もあったが、最近は近寄らなくなっていた。それが昨年あたりから日帰り程度で通い出し、今年3月には2年ぶりに滞在した。やはり香港はいい、と思うところもいくつもあり、また宿泊料金などが下がったことも寄与して、今回香港経由で広東へ向かうことになる。

 

8月19日(土)
香港の宿

朝8時50分羽田発香港行きの便に乗る。もう気分は完全にサラリーマン時代の出張だ。機内食を食べてから寝ているうちに、着いてしまう。ボーっとした状態で空港に降り立つ。実はパスポートを更新してから初めての香港。古いパスポートに貼られていたe-道のステッカーをもらうため、専用デスクへ。何の審査もなく、3分でゲット。これがあれば、陸路で中国へ行く場合も長い行列に並ぶ必要がなく、有り難い。

 

外へ出る。いつもはここでスマホのシムカードを買うのだが、今回は奥さんが買っておいたシムを使ってみる。だが差し込んでも機能しないので、仕方なく中国系メーカーのブースを探して持ち込む。やはり私のスマホ内の日本シム設定が邪魔をしていたらしく、それを削除すると、すぐに使えた。これもまた有り難い。

 

バスで銅鑼湾へ向かう。ここまでランディングから35分。この辺のスピード感は香港が一番であり、それは私がかつて慣れ親しんできたものであり、なんとも好ましく、テンションが上がる。今日の天気は最高であり、橋を渡る時の景色も素晴らしく、気分も上々となる。バスも40分で目的地に到着。

 

前回予約して意外とよかったゲストハウス、今回は違うところを試してみることにした。料金はさほど変わらず、住所もほとんど同じだ。だがその住所に行ってもゲストハウスの表示はない。住民に聞く訳にも行かず、仕方なく前回宿泊した時の受付に行き、聞いてみることにした。

 

すると驚いたことに受付はここだという。結局同じ系列で名前だけ別にしていたのだ。前回は宿泊する部屋は別棟だったが、今回はここの上で荷物の運搬が助かる。だが部屋には机がなく、ちょっと難儀する。同じような部屋を予約しても、形状はみな違うようだ。この民泊のようなゲストハウス、立地もよく、料金も手ごろなので常に混んでいる。

 

茶博へ

実は香港に行くことを決めたものの、特にやることはなかった。すると図ったようにFB上でのお誘いがある。ちょうど香港国際茶展というイベントが行われているというのだ。会場も近いので早々行ってみることにした。地下鉄だと降りてからが遠いので、バスで向かうが、今日が土曜日だということを忘れており、狙っていたバスは来なかった。仕方なく近くまで行き歩く。天気はいいが、その分当然ながら暑い。

 

会場近く、地下鉄駅から続く陸橋に上がってみて驚いた。すごい行列なのだ。香港の茶博がそんなに人気があるとは夢にも思わなかった。暑い中、クーラーもない中、大勢の人が並んでいる。若いカップルや家族連れが多い。土曜日の午後だからだろうか。しかしよくよく見てみると『香港美食展』という表示が目に入る。

 

どうやらこれを同時に開催されているらしい。帰っていく人を見ると戦利品として日本食品などを大量購入している人々がいる。やはりなんと言っても美食の街、香港。食べ物に対する要求、欲求は高く、そのエネルギーが人々を美食展に向かわせている。何とか茶博だけに入る道を探るも全く隙間はなく、延々並んで待つしかない。

 

ようやく屋内に入った頃にはもう疲れ果てていた。それでもここまで来て帰ることは出来ない。美食展を横目に5階まで上がると、そこにはそれほどの人はいなかった。これが茶の置かれている現実だ。会場内もそれほど人はいない。ただ何となく人だかりがあったので寄ってみると、そこは日本ブースだった。和服を見た女性がお茶の点て方を教えていた。香港の人も中国の人も興味津々でお茶を習って、自ら点てていたのは微笑ましい。

 

ここで和服を着た、オスカルさんにも出会った。彼は日本茶好きの外国人として、日本でも知名度が上がっており、外国人が外国人に日本茶の良さを知らせるという仕事で、ここに来ているという。出来れば抹茶や茶道ではなく、煎茶の普及を図って欲しいが、どうだろうか。

 

その横へ行くと、静岡などの産地から茶商が来て日本茶を売りこんでいる。そのうちの一つに聞けば、既に香港そごうに出店し、煎茶を販売しているというから、ちょっと驚いた。基本的に中国系の人は日本の煎茶をあまり好まない傾向にあり、日本に比べてその単価も高い煎茶が売れるとは意外だった。煎茶にチャンスはあるのだろうか。

 

最後に九州のブースで辻利さんを見つけた。彼は現在世界各地に喫茶の店を大展開しており、ここ香港にも最近出店している。茶葉はなかなか売れないといい、ドリンクやパフェなど、消費者の嗜好に合った形で提供することを考えている。中国の抹茶生産の勢いなど、貴重な情報も得ることができた。隣ではハラール認証をとったお茶を売る店も出ている。日本茶に変化の兆しはあるだろうか。

 

中国茶は香港という土地柄か黒茶系の店が多く出店していたが、すでに飽和状態なのか、それほど人を集めておらず、帰り支度する姿もあった。一時は茶葉取引の中心的な役割を持っていた香港も、近年の中国パワーに押され、参加者も伸び悩んでいるとの話もあり、その位置づけはちょっと微妙のようだ。