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バンコク・ハジャイ旅2024(6)

部屋は先ほどより狭かったが、電気ポットなど必要なものはちゃんとそろっており、十分だった。夕飯を食べようと再び外へ出たが、アテがない。ネット検索すると少し離れた場所に良さそうなレストランがあったので、そこまで歩いて行く。途中華人系寺院などに寄り道する。夕日が西に傾いてきた。

そのレストランはオープンな感じでとても良かった。オーナーも華人で愛想がよい。何か面白い物はないかと探していると『日本人なら天ぷらを食べれば。ついでに地元の野菜炒めもお勧めだよ』といってくれたので、それを注文してみる。料理が出て来るとビックリ。海老の天ぷら?エビが7本も皿に載っている。だが天つゆはないので、塩を貰いつけて食べると旨い。野菜も卵と絡まって実に旨い。気さくなオーナーと英語で言葉を交わして、名残を惜しんで店を後にした。

それからまた街の中心に戻る。中華公会の建物があったので、覗いてみると、何と絵の展示が行われている。何とも優しい絵で、ちょっと見入る。2階に上がると、そちらにも展示があったが、壁には公会歴代会長の写真が飾られており、ここが今も華人の集まりに使われていることが分かる。絵を描いた女性は、ここの生まれでバンコクで長く暮らしていたが、やはり故郷が良くて戻ってきたという。サトゥーンの街の特性など、色々と教えてくれた。こういう何気ない交流は温かい。

1月27日(土)ペナンを目指して

夜は風が強くて、5階にある部屋の窓枠がガタガタ鳴っていたように思われたが、翌朝は気持ちよく目覚めた。天気は上々。9時前に宿を出て、言われた通り、大通りを南へ向かう。セブンのところまで来ると、ちゃんとソンテウが1台おり、タマラン港まで、というと、100バーツで行ってくれた。ソンテウは一路南下して10分ちょっとで、港に着いてしまった。

まずはマレーシアのランカウイ行きフェリーが11時半に出ることを確認した。その上で旅行会社の人に『他にマレー半島に行く方法はないか』と聞いてみたが、全員が首を横に振る。コロナ以前はボートさえ確保できれば、越境して半島を南下で来た、ランカウイへ行く必要はなかった、との情報もあったが、今や完全に閉ざされているようだ。

もう一つ、ランカウイからペナンへ行くフェリーはあるか、と尋ねてみたが、こちらも首を傾げられたのには驚いた。もしランカウイ経由でペナンへ行くとしたら、もう一度フェリーに乗って対岸のクアラパリスへ行き、そこからバスで向うしかないらしい。いやもう一つあるのは飛行機で飛ぶことだというが、それは面白くない。

調査は簡単に済み、ランカウイ行きフェリーチケット(450バーツ)も簡単に買ってしまうと、もうやることもない。周囲をフラフラしていると、地元のおじさんは桟橋まで出て釣りをしている。その辺にボートはないかと未練を残したが、無駄だった。仕方なくお茶を飲みながら、じっと待つことにする。

表示では11時にならないとイミグレは始まらないとなっていたが、意外や10時半には人が並び始め、すぐに出国審査が行われた。後は船に乗るだけだった。フェリーは中型船、乗客は半分ぐらいか。その多くがマレー系に見えたが、どちらの国の人だろうか。勿論観光と思われる人はいない。そこからダラダラと乗船していき、11時半になっても船が出る気配はない。何しろ1日にこの一本しかないのだから、多少は待っているのだろう。10分過ぎて船が動き出す。さあ、マレーシアへ渡るぞ。しかしそこからどうなるのだろうか。

バンコク・ハジャイ旅2024(5)初めてのサトゥーンで

『ペナンに行くには?』と窓口で聞いてみると『フェリーはランカウイ行きしかない。それも1日1便だけだ』といい、それ以外の手段はなく『早く行きたいならハジャイに戻れ』とまで言われてしまう。更に『もし今から行くなら200バーツ出せば送ってやる。フェリーの出航時間は11時半だぞ』とも。時計を見るともうすぐ11時。ここから港まで10分、チケットを買い出国審査はちょっと面倒なので、一度サトゥーンの街へ行くことにした。この街は陸の孤島だったのだ。

出口にはおじさんがぽつんと座っていた。バイタクのおじさんだったので40バーツで行ってもらう。街の真ん中の宿で部屋を頼むと680バーツ。部屋からの眺めも良いのでここに泊まることにした。しかも何と洗濯機が置いてあったので、まずは洗濯に励む。天気が良く風も吹いているので気持ちがよい。部屋に電気ポットが無いのでおばさんからお湯を貰う。ついでにペナン行きの相談をしたが、やはり答えは一緒だった。どんづまりに来てしまったわけだ。

仕方なく外へ出てランチを探す。日差しが何となく強く、暑さを感じたので、時計台の横で早々に見つけたマレー系料理屋に入る。言葉は通じないので、魚と野菜を指さしてよそってもらう。ちょっとスパイシーだが、十分に美味しい。また外へ出ると、先ほどドリンクを飲んでいなかったので、雑貨屋でコーラを買う。何と小さなペットボトルで10バーツ。景気が悪くなると小分けで売る、ということだろうか。

その先にサトゥーン博物館があった。その建物が何とも良い。元々ラーマ五世の南部視察に合わせて建てられたらしい。1902年以降は地方事務所となり、第2次大戦中は日本軍の本部として使われたとある。現在は博物館となっており、サトゥーンの歴史を学ぶことが出来る。

その近くを歩いていると、刑務所跡があった。かなり立派な壁が連なっており、ちょっと見学してみたくなる。正門を見付けて入っていくと、警備員が『どこへ行くんだ』と聞いてくる。『ちょっと中に入りたい』というと、エッという顔をして周囲の同僚に向かって『中に入りたいんだって』とおどけた表情をした。皆がどっと笑ったので、ここが刑務所跡ではなく、現役の刑務所であることを初めて悟り、私も大笑いした。

市内をフラフラ歩いていると、勿論モスクもあるが中国系寺院なども見られ、この街もまたかなりミックスされた世界であることが分かる。まあマレーシアとの国境の街だから、当然ではあろう。街は小規模なのである程度歩くと一回りできた。部屋に戻って休んでいたが、シャワーを浴びたくなる。だが何とお湯が出ない。

フロントに聞きに行くと『実は昨日から壊れていて、今日直る予定だったが、業者がチェックした結果、今晩熱いお湯は出ない』と説明される。何とも景色の良い部屋だったので、一晩ぐらいいいかとも思ったが、何だかシャワーが頭から離れず、ホテルを替わることにしてしまった。

そして裏のもう少しだけいいホテルへ荷物を引きずる。フロントで料金を聞いてみるとネットよりかなり高い。交渉していると『とにかくネットで予約すれば』というので面倒になって予約ボタンを押すと、何と料金は現金フロント払いになっているではないか。希望通りで喜ぶ。更に先ほどの宿と同様、親切なおばさんが出てきて、明日のペナン行きの方法を色々と考えてくれた。だがこちらはどうしてもいい方法は見付からない。

バンコク・ハジャイ旅2024(4)ハジャイ食べまくり

夕方また外へ出た。タイ語が読めない私は、相変わらず華人系の建物が目に付いてしまう。苦瓜麺という文字が目に入ったので、思わず注文する。外のテーブルで待っていると突如雨が降り出したので、屋内に避難。すると店のおばちゃんが話し掛けてきたが、最初は華語だったはずなのに、途中から閩南語か潮州語に変わっている。それでも身振り手振りで何となくわかるので調子を合わせていたら、最後までずっとしゃべっていた。肝心の苦瓜麺の味はよく分からず終わる。夜は佐藤優が出ていたテレビ番組を見る。

1月25日(木)ハジャイ2日目

何となくすっきりしない目覚めだった。それでも外へ出て、何と朝から肉骨茶に挑む。昨日通り掛かった時、この店だけがなぜか混んでいたので入ってみることにしたのだ。朝も混んでおり、何とか一番奥の席に潜り込む。取り敢えず肉骨茶といってみると、実に立派なものが登場した。それなりに美味しかったが、お値段もそれなりだった。

また腹ごなしに散歩する。少し郊外へ向かうと教会が見える。モスクもあるようで、華人だけの街ではないことも分かる。そこで雨が降り出し、屋根の下で雨宿り。傘はあったが雨宿りしてみたかった。本当に10分ぐらいで止んでしまい、如何にも南国を感じる。何事もなかったように歩き始めると、華人が創設した学校なども見られる。

宿に戻ってもう1泊しようとフロントへ行くと何と『今日スタンダードルームは満室なので500バーツ高い部屋しかありません』というではないか。ここから慌てて近くの宿を探し始めた。一番近い所へ行くとネット検索よりかなり高いが、まけてはくれない。もう一軒訪ねたが、やはり同じだったので、仕方なく最初のホテルをネット予約したところ、何と現地払いで150バーツ安くなってしまい、また喜ぶ。フロントの女性たちも面白がって付き合ってくれ、皆で笑う。この雰囲気がとても良い。

朝結構散財したので、お昼は質素にお粥を食べる。しかしこの魚粥、何とも旨い。なぜだろうか。その後に昔泊まったハジャイ駅を見学していると、また雨が強く振り出し、慌ててロビンソンデパートに逃げ込む。地下のスーパーでドリンクなどを買っている内に小降りになったので、帰る。

夕方また空を見ながら外出。旨そうな福建麺の店があったので食べる。やはり旨い。だがその後フラフラしていると、フライドチキンで有名な店があり、お客も多かったので食べてみたくなり、ハーフサイズを頼んで完食した。もう腹一体で何ともならない。それでも帰りフルーツを買うとこれまた甘い。ハジャイは実にいい所だが、腹は極度に重い。

1月26日(金)サトゥーンへ

朝早めに起きて8時前にはチェックアウト。宿の前のトゥクトゥクに声を掛けてバスターミナルへ行こうと思ったが、ちょっと高い。市場の方で昨日来た料金が安かったのだが、そこへ行ってみても全員が100バーツだという。完全にカルテルだ。そんな中、一人のおじさんだけがなぜか60バーツというので乗り込む。バスターミナルは私が思っていたのより遠かったが、丁寧に送ってくれ、サトゥーン行きロットゥの場所まで教えてくれた。朝からおじさんを拝む。

100バーツでチケットを買うと10分でロットゥは満員となり走り出す。今日はいい天気で気持ちが良い。これも順調で2時間ちょっとでサトゥーンの街に入る。途中一人ずつ降りたいところで降りるので、最後に私は残されてバスターミナルに着いた。だがそこはあまりにも閑散として前途が思いやられる。

バンコク・ハジャイ旅2024(3)ハジャイへ

疲れたので、カフェアメゾンに入って休む。このプロンポーンにある間口の小さい店舗、実は狭いながらも2階、3階もあるのは、初めて知る。何となくだらだらしながら過ごす。でも若者が多く、居心地はあまり良くはないので、アソーク方面に歩いてみる。駅まで来ると地下に入る。

そこにはその昔のQBハウスがあった。今は別経営ではあるが、まだ存在していた。暇なので数年ぶりに入ってみる。何と代金の現金支払いはダメで、QRコード決済だけだった。この辺もコロナの影響だろうか。僅か10分で髪を切り終わる。私はこういうスピード感が嫌いではない。

そしてプロンポーンに戻り、Sさんと会う。Sさんとは前回初めて会ったが、何となくまた会いたいと思い、連絡した。昔話に花が咲く。場所は10年以上前に何度か行ったオーガニックフードを売る店。お茶なども売られているが、殆どが茶外茶だった。ここの2階はレストランになっていて、美味しいべジタリアンフードが食べられる。チャイも飲めて、楽しい夜だった。

1月24日(水)ハジャイへ

朝まだ暗いうちに宿をチェックアウトして車を呼んでドムアン空港へ。かなり早い時間なので、スムーズに到着する。いつも使っているタイライオン、ここでトラブル発生。何と今回のチケットには預け荷物量が含まれていないので、1100バーツ払えと言われて愕然とする。これまで15㎏程度は無料だったので、今回も同じと思い込んでいたが、まさかの9㎏超過料金となる。これからはちゃんと確認しよう。因みに今回からチケットは機械で取得し、預け荷物はカウンターで。

悄然としても腹は減る。いつもの食堂でジョークを食べて息を吹き返す。荷物検査を終え、フライトを待っていると、さっき車を呼んだBoltからメールで領収書が送られてきた。驚いたのは、何と金額が支払ったものより100バーツ少ないのだ。まあ領収書は使わないので良いのだが、もしやすると私がボケて100バーツ多く渡してしまったのでは、と疑心暗鬼になる。

フライトは順調であっという間にハジャイに降りた。まだ朝10時過ぎだった。ここからGrabを呼ぼうかと思ったが、バスはないかと探してみると、出口を出た先にロットゥが停まっており、100バーツで市内へ運んでくれた。元々はミニバスが60バーツで運行していたようだが、ご多分に漏れずコロナで無くなっていた。

ロットゥはほぼ満員になり、すぐに出発した。15分ぐらいで街中に入り、殆どの人をロットゥ乗り場で降ろしてから後はゆっくり進む。私は適当なホテル名を告げてあり、そこまで運んでもらった。ホテルに入り料金を聞くと、ネット予約より高かったのでその旨を告げると、『特別価格ですよ』と言って、その料金になった。何だか気分の良いハジャイだった。

部屋に荷物を置いてすぐに散歩に出た。近所には福建会館、海南会館など華人の同郷会館がいくつか見られ、ハジャイも華人が多いことを示していた。何となく腹が減ったので、豚肉と鴨肉ご飯を食べる。こういうのがすぐに食べられ、普通に美味いのが良い。注文もタイ語ではなく、華語で出来るのは有難い。

食後の散歩に市場へ向かう。それから何となくお寺を見たり、時計台へ行ったりする。旧市街地はコンパクトなので、歩いて一通り行ける。最後に市場に戻り、何故か柿を買う。既に食べられるように剥かれており、久しぶりに柿を味わう。セブンでドリンクを買って宿で休息する。

バンコク・ハジャイ旅2024(2)スクンビットをうろうろ

Mさんが待っていてくれた。こんな場所を指定するとはさすがバンコクを知り尽くした男、Mさんと唸る。それからタイの中国系料理について、色々と尋ねる。実に面白いし、これまで誰もスポットを当てていない部分ではないだろうか。特に潮州系の多いタイにおいては、従来日本では見られない潮州料理に特徴が見いだされるので興味深い。

夕方になったので、カフェを出て夕飯を探す。話の流れ上、やはりタイ中華にしようと、トンローまでBTSで移動。行くべき店に6時前に到着したが、何と6時半開店と知ってショック。Mさんは開店まで待とうと言い、周囲の散歩を始める。そしてその辺の麵屋に入り、いきなりコーラだけを頼んで席に着き、時間をつぶす。この時間に麺を頼まないのは迷惑かと思ったが、店側も全然気にせず、氷なども出してくれる。こういうことは超人Mさんにしかできない技だ。

6時半過ぎに店に戻ると既にかなりの客がいる。何とか席を確保したが、後から後から客が入って来てすぐに満席となる。トンローということもあり、日本人客も結構いる。ここの料理、味付けがすごくいい。豚肉とキャベツ、タケノコ、小魚など甘くてうまい。これはやはり潮州系だとMさんは解説する。そう、この味だ。とても勉強になる。タイ人も日本人は潮州料理が好きなのだ。帰りにGrabで車を呼んだが、何故か来ない。空車は沢山通り過ぎるので、結果キャンセルして車を拾って帰る。何だか面倒だな。

1月23日(火)スクンビットをうろうろ

今朝はゆっくり起きて、Yさんとコーヒーを飲む。明日のフライト手配も終わる。昼前にまた赤バスに乗ってスクンビットへ向かう。なぜか今日の昼もトンローで待ち合わせ。Mさんとはずいぶん長い付き合いだが、とうとうバンコクを離れるらしい。それで最後のランチとなる。

ランチはなぜか韓国料理となった。昨晩も歩いたトンローの道を行く。この店にイカ炒めがあったので、すぐに注文する。韓国料理には副菜が沢山付いてくるのが良い(日本を除く)。Mさんとこの10年余りのお茶会の思い出などについて話が弾んだが、何となく寂しくなった。

夜もまたプロンポーンで約束がある。一度宿に戻るのも面倒なので、この辺をフラフラする。まずはプロンポーンまで歩いて、ユニクロへ行く。どうしてだか冬の北京の服はちゃんと持って来たのだが、夏のバンコクの服を少し忘れていたのだ。2000バーツ以上買ったら、消費税が戻るというので、初めて還付手続してみる。

そこからバンコクの60バーツ均(日本の100均)の店へ行き、耳かきを買う。これを忘れると、ちょっと困るのだが、こういうものが簡単に買えるのは、やはりバンコクだ。更には北京で余った人民元の両替をしてみようかと考え、周辺の数軒の両替所を回り、レートを比較した。

以前はあった両替所がいくつも無くなっていた。コロナで無くなったのだろうが、その後も復活しないのはやはりキャッシュレスの進行だろうか。一番レートがいいのは、ショッピングモールの地下だったので、そこで両替を終えた。それにしても、北京でも感じたことだが、中国国内で実質使えない人民元現金が、海外では普通に両替できる、というのは、何となく違和感がある。

バンコク・ハジャイ旅2024(1)30度のバンコクに到着して

《バンコク・ハジャイ旅2024》  2024年1月21₋27日

極寒の北京から暑いバンコクへ。そこから南下して久々のハジャイを経由して、ペナンを目指すことになった。ただ通常ルートは面白くないと思い、初めてサトゥーンへ行くが、そこからのルートはかなり限られてしまい、袋小路にはまり込む。さて、どうなるのか。

1月21日(日)バンコク到着

快適なフライトでバンコクに着いた。入国審査は思ったほど時間はかからなかった。荷物は預けていないので、一目散にAISにブースに向かい、3か所目でようやく無料シムをゲットする。取り敢えずこれでスマホは繋がった。またタクシー乗り場から車に乗る。今回はいい運転手?で、メーター通りの料金で済んだ。これが普通だろうに。

いつもの宿にチェックイン。ここには随分と泊まったが、料金はどんどん上がっていく。円安もあって、もうリーズナブルな料金とは言いにくい状況だ。部屋もコロナ後は何となく格下げされた。これまでの部屋はもっと高くなっているのだろう。慣れているので居心地は良いのだが、これからどうするか、考えないといけない時期に来ている。

腹が減ったので外へ出た。まずは一食、と思うと、なぜかパッタイ屋に足が向いてしまう。おじさんとは顔が合うと挨拶する仲だ。何となくパッタイを食べてコーラを飲むとかなり落ち着く。日本人町でいつものパンを買ってから、暗い夜道を歩いて帰る。チェンマイに比べて車の多さが際立つバンコク。

1月22日(月)タイ中華の夜

朝はいつものルーティーンでコムヤーンを食べに行く。だが何と既にコムヤーンの姿はない。おばさんは『あの人が全部買って行ったよ』と指を指す。そのおじさんは大きな袋にコムヤーンサラダを詰め込んでいた。おばさんもサラダ作りに大忙しだったはずだ。それでも諦めきれない私。じっと空の籠を見ていると、コムヤーンのきれっぱしでサラダを作ってくれた。初めて食べるが、かなりスパイシーだった。それでも有り難い。

当たり前だが、北京の零下からバンコクの30度は体に堪える。部屋で休息していたが、シムカードをゲットする必要があり、外へ出る。Yさんのスタッフにタイ語で『シムカードの再発行』と書いてもらって行く。これがあれば、恐らく問題ないはずだが緊張はする。ロータスのAISブースに行って紙を見せると、担当者が流暢な英語で対応したので驚いた。そして実にスムーズにシムが再発行され、おまけに1か月200バーツの特別価格への設定までしてくれた。こういうサービスは実に有り難い。

昼はYさんといつもの食堂へ行き、いつもの物を食べる。これまで同様普通に美味しい。料金も変わらない。変化が無いのはここだけか。午後は赤バスに乗り、アソークまで出る。このバス、前より少なくなっているのか、なかなか来ない。まあ来れば速いからよいが。料金は8バーツだ。

アソークで降りると、ナナ方向に少し歩く。指定されたビルに入り、カフェアメゾンを探す。だがどこにあるのか分からない。インフォメーションの女性に尋ねると『そうですよね、分かり難いですね』と言いながら、自ら案内してくれた。それは1階の奥深く、階段の陰に隠れるように存在しており、このビルに来た人でも気が付かないだろうと思われる場所にあった。これからは隠れ家的カフェとして、使わせてもらおう。

北京・天津旅2024(4)魚祭りの夜

今日は房山線という初めて乗る路線へ向かう。何度か乗り換えが必要であり、また最後の房山線は運転間隔が空いていて、約束の時間に遅れてしまった。それにしても、北京の交通網の発達はすさまじく、またそれに合わせて発展する郊外もかなり伸びているようだ。駅を3つほど行くと、全く知らない駅で降りる。そこにも街が形成されている。

久しぶりに会うCさんは、以前は中関村にいたが、コロナ中にこの付近に引っ越していた。その昔は本当に何もない所だったというが、今やマンションが立ち並び、それに合わせてきれいなレストランも並んでいた。その一軒でランチをご馳走になったが、この料理もまた広東系で美味かった。やはり皆さん、歳をとると健康への関心度が高まり、北京の料理ではなくなるのだろうか。中国経済や日中関係の話しをしたが、あまり明るい話題にはならず、ちょっと盛り上がりに欠けてしまうのは、残念でならない。

疲れたので一度宿に帰り、休息する。テレビを点けるとテニスのオーストラリアンオープンがライブで中継されている。3回戦で中国女子選手同士が試合をしている。今やテニスも日本より中国だろうか。それから東京から持って来たお酒を下げて、宿を出て、またもや光明飯店に向かう。

昨年11月にも訪ねた日本料理屋。本日は貸し切りで『魚祭り』が開催されていた。以前お世話になったMさんが私の北京滞在に合わせてアレンジしてくれたのは何とも有難い。参加者は20名強で、懐かしい方々と色々とお話しできてよかった。また初めての方ともすぐに打ち解けるのが北京の良さだろう。

スーパーで鮮魚を扱っている日本人の方がセレクトした極上の魚を、その場でさばいて食べる会。それは想像以上にすごいものだった。日本に居てもこんなものは食べられない。さしみから煮つけ、寿司からいかめしまで、どんどん出てきてどんどん食べる。お酒もどんどん進んでいく。気が付いたら5時間も経っていた。こんなに楽しい時間なら、次回もまたやって欲しいな。興奮冷めやらぬ中、零下10度の北京を歩いて帰る。

1月21日(日)バンコクへ

昨晩食べ過ぎたので、今朝は軽く食べて、散歩に出た。気温とは関係なく、今日は風が強くて歩くのは大変だった。これもまた北京の冬だ。部屋に逃げ帰り、タイの無料シムカードの手続きをしてみた。たった1日だけ使用できるカードだが、北京空港でシムを落とした私としては、それは有難いものだった。

空港へ行こうと車を呼んだが、何故かネット回線が悪くてうまく繋がらない。フロントの若者に言うと、すぐに自分のスマホから呼んでくれた。この辺のサービスは実に有り難い。車もすぐにやってきて乗り込んだのだが、『誰が予約したんだ』と運転手に言われる。何だかスマホ番号が必要のようで、フロントに戻り、何とか事なきを得た。それにしてもちょっと面倒だな。

空港までは順調に進んだが、降りる時の決済で『アリペイで』と言ったら、『微信ペイにしてくれ』と言われた。昨晩暇だったので、初めて微信ペイを繋いでみたが、本当に使えるのかどうか自信がなかった。一応やってみると見事に支払えたので、運転手も笑顔になり別れた。今どき北京で微信ペイが使えて喜んでいるなど、人間ではないな、と思う。

空港はなぜか混んでいた。そして私が乗るバンコク行きも満員だという。搭乗ゲートでチケットを見せると係員は『アップステアー』と英語で言った。この飛行機には2階席があるのかと思い機内に入ると『なんとビジネスクラスにアップグレード』されていた。これは意外な喜び。乗客はどんどん乗り込んでくるが、その半数は白人でビックリ。恐らくは冬休みが始まり、寒い北京から南へ避難する人々らしい。私の隣にはロシア系の若い女性が座っている。

まあビジネスクラスといって食事は少し良い程度。それでも席が広くて有り難い。食べ終わると、すぐに寝入ってしまい、そのまま夢見心地でバンコクまで来てしまった。偶には良いこともあるようだ。この先も良いことがあるといいなと思うが、ここで運を使い切っただろうか。

北京・天津旅2024(3)冷え込む天津で広東鍋

降りたのは周鄧紀念館という駅。さすがに周恩来・鄧穎超夫妻の偉大な功績が通路に多数展示されている。地上に上がると5年ぶりのXさんが待っていてくれた。今回天津に来たのはXさんと会うためだった。まずはそこにあった水上公園を歩きながら、お互いの近況を報告し合う。更に公園内にある博物館で、天津の歴史を詳細に学ぶ。

天津は先日かなりの雪が降ったようで、公園内には雪が残っているが、今日の天気は抜群。そして北京より寒さを感じる。それは景気が低迷していることとも関連あるだろうか。Xさんの車で市内を少し走る。5年前、天津を茶旅した時、色々とお世話になったことを思い出す。当然ながら天津には歴史関連のスポットが多い。

お昼ご飯に行く。Xさん行きつけのカフェ、と思ったが、実に奥が深く、個室がいくつもあった。元々はXさんの学生も同席予定だったので個室を取ってあったが、インフルが流行っており、結局2人で広い個室を占領することとなる。このお店、コロナの時は大変だったようで、色々と工夫をして凌いだらしい。その結果生まれたのが広東系の鍋料理だったというから驚きだ。

この鍋、打辺炉はスープが絶品だった。まあ広東系はスープが命、というところがあるが、この鍋は広西のチワン族が起源とも言われているようで、少し独特だった。そこへ野菜やキノコをぶち込んで煮込む。最後に新鮮な鶏肉を入れれば、完璧な鍋が出来上がった。天津でこんな旨い物が食べられるとは思いもよらない幸せ。

Xさんとの付き合いは長いので、昔話や故人になった方の思い出話しでいくらでも続けられる。娘さんは今や大学を卒業して、京都で茶業関係の会社に勤めているらしい。チャンスがあれば京都に会いに行こうと思う。中国経済の話しはほんの少しだけ。非常に状況が良くないことだけは理解できた。これから中国はどちらの方向へ向かっていくのだろうか。Xさんも新たな展開を模索しているようだ。

話しは尽きなかったが、予約した高鉄の時間があったので、来た道を戻り、天津駅へ。帰りも至極順調で、何事もなく北京に帰還する。今回臨時入境の範囲に河北省と天津が含まれていたのは、実に幸運だった。まあ日本で見た報道でも天津経済は中国内でもかなり悪いと聞いていたが、それは事実のように見えた。

宿近くに戻り、コンビニを探したが、なかなか見つからない。日本のようにその辺に路面店があるというより、オフィスビルの中に入っているので、歩いていても見つからない。オフィスビルも昔とは随分イメージが変わっており、1階ロビーはおしゃれな空間が広がり、若者がネットで作業などをしている。

京城大廈は何とも懐かしい。昔仕事で何度もここへ来た。あの頃は燦然と輝く50階建てのビルだったが、今でも異彩を放っている。中に入りATMを探すと、創業者栄毅仁の像が暗闇に浮かび上がる。中国の変化を彼はどう見ているのだろうか。なぜかATMカードが使えなくなっていて焦る。宿へ帰るとアジアカップ、日本対イラク戦が生中継されている。こういうところが中国は素晴らしい。日本では中継すらままならないのだから。しかし負けては何もならない。

1月20日(土)魚祭りの夜

朝起きると急に銀行カードが心配になる。もしこれが使えないと大変面倒だと思い、銀行へ向かった。だが日曜日のオフィス街、支店は閉まっており、聞くことは出来なかった。仕方なく試しにもう一度ATMにカードを入れてみると、何と普通に作動したので、どっと疲れた。この辺が不安定な中国だ。

今日は昼に約束があるが、時間が出来たので、ちょっと南羅古巷へ行ってみた。ここは15年前の私のお気に入りの場所。だがその後観光地化が進み、今や胡同の面影もかなり変化してしまった。更にコロナ禍の影響もあり、記念館なども閉鎖され、道はきれいになり、説明板は充実してきているが、古き良き時代は過ぎ去っていた。

北京・天津旅2024(2)天津へ向かう

すぐに気分を変えるため外へ出た。気温は零下だがそれほど寒さを感じない。東直門までフラフラ歩いて行くと、路肩に雪が積まれている。その横には大型マンションが建設中だが、このエリアなら相当の値段になるだろう。現在の中国不動産の状況を考えると、果たしてこれは売れるのだろうか、とちょっと心配になる。

2号線に乗り、北京駅へ向かった。地上へ出ようとすると、人が多くて進めない。よく見ると検問があり、身分証の提示を求められて、機械でチェックしている。私はどうするのかと取り敢えずパスポートを出したら、そのまま通されて地上に出た。実に久しぶりの北京駅だった。切符売場までの距離が長い。

ようやく中に入り、温まる。昔の切符売場は長蛇の列で、しかも一人ずつの交渉?が長いので、列はいつになっても流れず、窓口に客が殺到するような状況もあった。だが今は違う。薄暗かった室内は明るくなり、列も短い。殆どの人がネットで購入し、ここに来るのは訳ありの人か、外国人ぐらいだろう。外国人旅行者はかなり少ないはずだから、列は短くて当然だ。10分もかからず順番が回ってきて、切符も簡単に買える。天津行は南駅から出るが、ここで切符が変えるのは有難い。そして現金が使えたのは、何とも嬉しい。

北京駅から建国門まで歩く。昔は何度も歩いた道だが、何だか思い出せない。建国門には15年ほど前に住んでいた家がある。そこを見上げると昔のままだった。その近辺もコロナ前とあまり変わってはいない。更に亮馬橋まで戻り、好運街へ向かう。25年ほど前、この辺に住んでいた。その公寓はまだ名前はそのままだったが、当時の日本人村は全く無くなったようだ。

好運街は15年位前に出来たと思うが、以前は日本人街のようだった気がする。今も居酒屋や和食系は多いが、オーナーは中国人に変わっているのかもしれない。その一番端にある山西料理の店に入った。今晩は北京在住のHさんと会うことになっていた。Hさんと会うのは初めてだが、実は彼の奥さんは15年位前から知っている。しかも驚いたことに、Hさんはうちの奥さんの高校同期だという。そんなご縁もあるんだな、と。

Hさんは中国ビジネスのプロだが、北京に住み始めたのはここ3年ほどらしい。だから奥さんと会ってもご主人の姿を見ることはなかった、ということか。ここの鍋は美味しかった。特に肉団子、そしてスープが美味い。留学時代の話をしながら、食べていると、昔とは隔世の感がある。ご馳走になってしまったが、楽しい夜だった。帰りも歩いて宿へ戻る。途中に京城大廈が聳え立っていた。懐かしい。

1月19日(金)天津へ

朝早く起きて朝食を食べる。それからゆっくりして宿を出る。今日は天津へ向かう。天津行列車は基本的に南駅から出る。三元橋から南駅まで行くのはちょっと面倒だ。10号線でかなり走り、そこから4号線に乗り換える。まあ、1時間はかかる。運よく座れたので、何となく寝ていけた。以前に比べて出勤ラッシュも少し収まっているようだ。

南駅は久しぶりだった。時間が余ったのでちょっと歩き回ったが、実に広い。吉野家などの食堂も充実している。天津行は専用ゲートがあり、シャトルのような感じで15₋20分に一本出ている。私が乗った電車はそれほど混んでいなかったので、ゆったりと座っていけてよかった。まあ時速300㎞で僅か40分程度なので、外を見ていたら着いてしまった。なぜか車内の動画広告がお茶関連だった。

外へ出ると地下鉄の表示がある。コロナ前と比べて路線が増えているように感じられる。待ち合わせ場所を指定されていたので、その指示通りの路線を探す。天津も切符は基本スマホ決済。私は自販機でQR決済。北京と違い身分証をかざす必要はなく、すぐに買えたのは助かった。時間帯の問題なのか、天候が寒すぎるのか、天津駅も地下鉄も人は多くない。

北京・天津旅2024(1)北京再入国

《北京天津2024》  2024年1月18₋21日

昨年11月、チェンマイからの帰途、北京に立ち寄った。そして今回、その折り返しのチケットで、また北京に降り立つことになっていた。なぜ上海経由にしなかったのか、と聞かれても、その答えは自分の中にはない。と言って北京にどうしても行きたい訳でもない。それでも行ってしまう北京とは。今回は日帰りで天津まで足を延ばす。

1月18日(木)北京再入国

朝4時前に起きた。すぐに羽田へ向かって始発電車に乗る。今日は北京へ向かうのだが、羽田空港出国の大行列を想像すると夜も眠れない。それなら始発で行ってゆっくりしようかと考える。始発電車にも結構乗客がいて、座れない。まあ混んでいる訳ではないので、ゆったりと構えて向かう。

6時頃羽田空港に到着したが、人は殆どいない。何とまだチェックインカウンターも開いていない。普通はWebチェックインで、そのまま保安検査場へ行けるのだが、中国行きには特別カウンターが用意されている。ちょっと待つとチェックインが始まり、臨時入境のため、書類チェックが入念に行われた。

それが終わると保安検査場へ。もう少し遅い時間だと長蛇の列だったが、この時間だと人は少なく、10分で通過可能とある。ところが何と荷物検査で引っかかる。知り合いから頼まれていた日本酒を機内持ち込みしようとしたが(預け荷物無し)、なんと持ち込み不可で没収だという。私は酒を飲まないので、長年海外に酒を持っていったことがなく、そのルールに疎かった。

どうしても酒を持っていかねばならず、一度カウンターに戻って荷物に入れて預ける必要があった。特別ルートで戻され、預けてまた特別ルートから再検査となった。まあこれもいい経験だろう。出国が完了してお土産を少しだけ買う。その頃ようやく朝日が昇り始める。早く来ればそれだけ早く出国できることを実感する。次回からいつも始発にしようか。

フライトは順調だった。やはり乗客は多くはなく、日本人より中国人の方が多いのは変わらない。食事は前回とほぼ同じで選択権なし。もう期待はしない。映画を見ながらウトウトする。ちょうど12時頃、北京空港に到着した。前回も行ったので臨時入境手続きの場所は分かっていたし、書類も事前に書いていたが、何と20人以上の列が出来ていて、窓口まで辿り着けない。

仕方なく、シムカードの交換などをしていると、何とタイのシムを落としてしまう。あの小さいシムカード、一度落ちるとどこにあるのか分からない。バッグの中に落ちたのか、と探すのを断念する(結局紛失)。タイのシムでよかったが、これが中国や日本だと再発行が想像するだけでも大変だ。

結局40分以上かかってシールを貰い入国。預け荷物のレーンは既になく、荷物を探して右往左往。だから預けたくなかったのに荷物。今回は昼まで荷物も少ないので、地下鉄で市内へ向かう。ここはさすがに現金でも切符が自販機で買える。だが地方から来た老人たちが切符を買えずに困っており、私が教える羽目になる。不親切にも職員はいないのだ。

今回はチェーンホテルの前回とは別の宿を予約してみる。駅から地図上では遠くないのだが、実は道が限られており、意外と歩くのは大変だった。そしてチェックインしようとしたが、スタッフは私のパスポートを持ったまま、他の中国人の対応に追われ、私の順番は全く進まない。20分ぐらいして、ようやくお客が途切れ、『私のチェックインは』と聞いたら、『あなたは誰?』と聞かれたので、さすがに頭に来た。

その後上級スタッフが平謝りしていたが、同じチェーンでも対応がかなり違うことを実感。また中国人の横入りは普通だが、いくら何でももう少し配慮が欲しいところ。まあ、こういう時は間が悪く、前回に比べて部屋も良くなく、更に落ち込む。スタッフが部屋まで来てきてしきりに『微信で繋がりましょう。こちらでご意見を承ります』というのも、少し気に障る。